2018年11月11日

 危ない鎌倉(2)

夕方五時、昼間あれほど賑わった小町通は人がいない。
昼の鎌倉と夜では全く別の顔を見せる。
一般の人は「夜の鎌倉」を知らない。
そこは怨霊の世界が広がる。
うっかり逃げ忘れた人は もうこの世には戻れない。
サッカー場二つほどの狭い旧市街
ここは鎌倉幕府草創期の御家人一族が”みな殺し”に
遭った場所だ。
大江広元、三善康信。和田義盛、畠山重忠、三浦泰時
比企能員、まだまだ書き漏らした一族がいる。
中心人物が切り殺される時 一族郎党と言われる人達
七八十人が死ぬ。例えば二代将軍頼家の乳母の実家
比企能員の屋敷跡、比企ヶ谷という地名が残っている。
北条氏に襲われて一族百人が死んだ。
鎌倉幕府滅亡の地「東勝寺」の隣りの谷である。
和田義盛は侍所の長官、最有力の御家人、鶴岡八幡の
一の鳥居の所に屋敷があった。
北条一族との間で「合戦」と呼ばれるほど激しい
切り合いがあった。 夕方 一族滅亡。
此の世にだれも遺体をかたずける人も無い。
野ざらし 一族滅亡とはそういう事
霊になると”時間”空間”が無い 何年千年もそこに
居るのである。
平成の世の中「死にたい」と言う気持ちで訪れると
地縛霊となった鎌倉武士に憑依される。
いい加減な気持ちで「その死場所」を訪れると危ない。
初めに戻ると 鎌倉旧市街はかつての惨劇の場所ばかり。
どしても鎌倉に住みたいなら、外輪山の外側、最近の
開発地がいい。 例えば湘南モノレールの沿線「西鎌倉」。
私は宣保愛子ではないので、どこが惨劇のあった場所か
分らない。(責任もてません)なんの歴史も無い
戦国じだいまで 海だった新潟平野、ここならいいか、
”あッ” 雪を忘れてた 白魔 は憑依霊より恐ろしい
  おわり


posted by 花蓮 at 22:49| Comment(0) | 日記

2018年11月09日

素人は危ない 鎌倉

今日から数回 西国の旅に出よう
私の夢と言う事でもしお金があったら長野佐久に住む
東京月島」を書いた。そのシリーズで鎌倉・湘南、四国の瀬戸内海
大分宇佐八幡、に住むのはどうだろう。
どうせお金はない 書くのは無料。
さっそく鎌倉だ、観光地でだれもが一度は行った事があるはず。
過去いろんな文人、高級官吏が住んだ、
有名なところでは彼の山本五十六元帥も自宅を構えた。
鎌倉を囲む山、特に朝比奈インター辺りの山から流れ出す
「滑川」が中心部を貫き横須賀線のガードに下をくぐるあたりの川端に
山本元帥の家はあった。 ここからが本題。  ガードをくぐると
いまでも寂しいが鎌倉時代は町はずれ 墓場だ
若宮大路が海に突き当たる辺り、由比ヶ浜。
由比ヶ浜墓地、ここに刀傷のある人骨が 何百体と出土した。
興味ある方はネット検索で由比ヶ浜墓地でどうぞ。
湘南のネェちゃんが浮かれ騒ぐ浜は 鎌倉幕府の侍がいっぱい死んだ場所
鎌倉幕府が滅亡する日
南武線の分倍河原で新田義貞軍に負けた日 五万のうち数千は鎌倉に逃げ返り
「七つ」の切通の木戸を閉めた。鶴岡八幡の左手に大船に抜ける道がある。
北鎌倉に駈けて今でも道が細いが当時は馬車がすれ違うのがやっと。
ここは防備が一番厚かった。
鎌倉幕府側は一週間持ちこたえた。
それで新田軍は稲村ケ崎の突端に廻った
今は国道が稲村ケ崎の岩を切り崩して道を通している。
 余談だがその切通の端に「メイン」というレストランがある。
かなり有名なので読者の中にも食事をされた方も多いだろう。
メニューのマグロの カマステーキがかなり美味い。
若い日見つけた女と江の島が見える窓辺に座ってそのステーキを食べた。
目の前の国道を渡って稲村の海辺に出るととても由比ヶ浜に
行けそうもない。 「つめた〜ィ こわいよ〜」 女は甘えた声を上げた
桑田の稲村ヶ崎の唄 「だれも湘南なんて言わねえの ここは稲村ケ崎」 「
幕府軍も防備は薄かった。
それでもなだれ込んだ新田軍と幕府侍との白兵戦がこの浜であった
刀傷の人骨が数百体出土したのが滅亡の「断末間の叫びだ。
生き残った数十人が若宮大路を鶴岡八幡方面に逃げた
ところが北鎌倉の木戸も破られた為 そっちからも新田軍が来る
逃げ場をうしなった残兵九百人は北条執権屋敷の裏手の
鎌倉を囲む山を背にした「東勝寺に集まった」 九百人が腹を切った。 
鎌倉幕府「終焉の地」である。いまも荒れた空地が残っている
其の日を堺に幕府はないので九百の遺体は野犬が喰い散らかし
それは悲惨な光景   
もし鎌倉観光に行って
”霊的に自信”(恨みの霊を跳ね返す)のある方は鶴岡八幡から
5分くらいなので行って見たらどうだろう。
(ただしその後の不幸には責任が持てません。)
<追記> 稲村ヶ崎墓地もあります、刀傷人骨が出ます
     ネット検索どうぞ
  続く





posted by 花蓮 at 14:46| Comment(0) | 日記

2018年11月07日

 最後のお日様(3)

今日は西高東低の冬型の気圧配置が強まり、午後から雪模様。
こんな天気予報をテレビがつぶやいている。
あァ〜あ〜 また雪か
こんなため息を
早春賦を唱うまでまだ三か月もある。西高のもとまで
行った事がある。
天気図を見ると中国大陸の北朝鮮の上方にその低気圧
の中心がある、 いつも思う こいつが元凶か
これが日本海に乗り出し、タップリ水分を吸い
立山にぶつかり北陸、谷川岳にぶつかり越後わが新潟に
雪を。
一月 冬真っ只中 私はこの低気圧の中心に居た
そこはハルピン どんなに吹雪で荒れているかと思いきや
真っ青な空。 大陸性気候と言うのだそうだ、
実に気持ちがいい  ハルピンのマックでソフトクリーム
外はマイナス20℃  ハルピンっ子は冬 アイスを食べる
雨が無い 雨が無い みぞれも無い
これは長野スケート気候と同じなのだ
”そうすると冬でも外に行く”
ロシアに入るとアムール川と名前を変える「松花江」
その川面は一メートルの氷
向う岸までトラックが渡って行く
馬車そり、スケート 何百人の市民が川面に遊ぶ
松花江が一番賑わう季節
新潟を思った 外は雨 こたつで背を丸く 暗い冬
明るい 楽しい 冬
なんという違う冬だ
妻の家は壁が30センチもある
石炭を燃やす温水が家の全部を温かくする。
新潟の部屋は石油ストーブを離れれば 寒い
夜はマイナス30度 まつ毛から涙が氷ってブラブラ
でも楽しい 公園には赤や黄色の蛍光灯を埋め込んだ
氷像が林立 美しい 楽しい
三月は逆に寂しい 氷が融けはじめる
”冬の宴は終わったのだ”
他方日本の宴が始まる 〜氷融け去り 葦はつのぐむ〜
 早春賦の出番だ


posted by 花蓮 at 09:25| Comment(0) | 日記