2019年01月02日

 元旦のNHK,八咫烏とサザン

平成も野最後の元旦寝ぼけまなこでテレビを点けると
熊野古道をたどる番組
熊野古道なんて越後からは一番行きにくいだから
知らない、南海電車で行くのだろうと思っていた
平安時代に天皇や貴族が詣でたことくらいは知っていた。
旅の終わりに近ついた頃
那智大社の説明でナレーションが言った
”その男が 云・・” まるで木こりか悪人を連想した。
それが神武天皇の事を指すのだと番組終わりで知った
{これがNHKが創った番組であろうか}
まるで韓国で編集したのかと思った
天皇に敬意のひとかけらもない。
昨日のビデオを撮っておられる方は見てもらいたい。
格別の天皇礼拝者でもないが
ロシア人、韓国人より生まれた国に愛着はもっている。
NHKはディレクター責任者を入れ替えないと大変なことになる、
雪模様 の田舎から心配している。
聴取料を払っても良かったのは「サザンオールスターズ」元旦特番だ
たっぷり聞かせてもらった。
息子と店舗探しに横浜湘南まで行った事があった。
彼が高校生の十五年ほど前 ちこくするまで寝ていたので
授業に間に合うように
朝は車に乗せて送って行った
その車中いつもサザンをかけた
それで湘南に行ったとき 江の島の前にでた
越後の陰鬱な空からサーフショップが並ぶ
江の島の国道  私の心は舞いあがった
いまでも鎌倉幕府の滅亡のブログが力が
入るのはこの日のショックが大きいからだ
わたしが初めに買ったCD「鎌倉物語
〜鎌倉よ何故 遠ざかる〜 〜日景茶屋では声をひそめてた〜♪           御存じ原由子の歌だ 
昨日は新曲が並んだ時間があった 終わりころはやっと私のサザンに戻った
「パシフィックホテル、勝手にシンドバッド、
加山のお父さんが失敗したホテルの廃墟がまだあった
茅ヶ崎まだでの途中に「モーテルアンデルセン」の看板
田舎者には”あッ桑田の歌の通りだ
〜烏帽子岩が見える〜
敗戦後 駐留軍が砲撃練習の標的に烏帽子岩を破壊したので
形が変わったそうだ。
〜江の島が見えてきた おれの家も近い〜♪
今日二日 箱根駅伝がここを走る
浜須賀の三叉路 ごんた坂を下りると
踊り念仏で教科書にも出てくる「遊行寺」がある
これについて書けば踊りで幽体脱離すれば
此の世の苦しみから出られる
原題にも通じる鎌倉時代の有効な手段だった
あす帰路この辺が鉾値の勝負
こんなに越後人が箱根、鎌倉を語れるのも
サザンのおかげ
〜砂交じりの茅ヶ崎〜〜♪
南風の吹いた日 俺の江の島が見えるマンションの
サッシレールは砂でいっぱいだった
 越後人にはそれが嬉しかった。
(終わり)
                         
posted by 花蓮 at 05:45| Comment(0) | 日記

2018年12月31日

 軽井沢は佐久だった

佐久の一戸建てを検索していたら別荘が出てきた
普通ブぶロック塀の家を想像していた
勝手に検索が別荘へと導いていった。
ああ、山小屋風の家もありだ。
もう人生も終わりに近づいているから
生活臭が無くても良いんだ。
それで別荘”佐久で”検索した。
「軽井沢」が出てきた
あれ!軽井沢も佐久なのか
清里の帰り道に迷い 佐久市内で「佐久長聖」高校の
前に出た
 軽井沢まではまだ遠い 
 ところが軽井沢町は佐久郡
 軽井沢の駅裏 アウトレット側は佐久郡だった
 息子はモールの近くに住んでいる
 カッコーが木を突いて巣を作っているそうである。
posted by 花蓮 at 09:36| Comment(0) | 日記

2018年12月26日

 信濃の国そのごの恵子

立教を卒業して二年がたっていた。
山一證券の新規客(自分で開拓した客)も増えて
任され株(これは法律違反)は五万株もあった。
篠原恵子とは池袋のクリスマス「接吻」以来
会っていなかった。
ある春の日曜日、浜松に転勤になっていた俺は
東京の恵子に電話した。
「元気 結婚生活はどう?」
「まあ~ まあ~よ 子供が生まれたの」
パンツを脱いで海老のようにマングリ返った恵子の
姿を想像した。
おれはまだ女体をしらなかった
ビデオを見てやる形は知っていたが
そんな事はおくびいも出さず
「おめでとう 可愛いいかい」 きわめて明るい声でいった
「今度 東京に行くけど会うか」
「いいわよ 「じゃ上野の西郷さんのところで」
東京の女になったとはいえ 田舎者同士
そんな洒落た所は思いつかない
朝早く浜松を出ると 午前には上野に着いた
そこには赤ん坊を抱いた恵子が立っていた
「抱いて見る」
俺はまだ見ぬ日大野郎の子を抱いた
でも半分は恵子の子供だ
柔らかくて可愛い
その子も もう三十を越えた
”おまえが赤子の時 上野の山で
俺の腕の中にいたんだぞ
女とは「大名時計」みたいなもんだ
突っ立った胎内に精子を受けて赤子に
する機能が入っている。
不思議なもんだ。おれは恵子のもう戻れない
顔を見た。
夏の磐梯山の檜原湖での合宿
恵子は溺れそうになった
一瞬「俺は死んでもいい」そう思ったを五十年
経っても鮮やかに覚えている。
一生で一辺の経験
恵子は水の中でじっとしていた
俺は首に手を廻し岸に向かって泳いだ
湖の底に沈んだ不気味な樹木が見えた
あのまま死んでも もう私を思い出す両親も
水底にいる。
恵子はそんな俺の決意を知らない
なにやらの展示を美術館で見た





posted by 花蓮 at 07:05| Comment(0) | 日記