2020年04月10日

 悲しい歌 (10)アルトハイデルベルグ岩波文庫

アルトハイデルベルグ 大正元年に初めて翻訳
されて松井須磨子によって上演された戯曲だ。
初演は1900年ベルリン、大成功を収めた
日本も満員、当時の青年はみんな涙した
ドイツブームが起きたのである
昭和の青年 わたしもかすかに知っていた
幕末頃のハイデルベルグ
古都の大学では学生が団体を作り
時には剣で決闘もしばしばあった時代
主人公はある乙女を愛した
アルトとは古い」と言う意味
アルト京都とは「古都」と訳すのが適切
アルト ハイデルベルグは古いハイデルベルグの街
というような意味
だから私はライン河の支流ネッカー川に掛かる石橋の上から
丘のハイデルベルグ城を見上げてゲルトと大正ロマンにひたった
三条大橋から大文字を眺めたようなもの
こんな絵のような場面が私にあったのだ
ちなみにアルトハイデルベルグの物語はドイツでは
失われて 彼女は知らなかった。
https://www.youtube.com/watch?v=J3VNUjDLUH0
 ドイツ国歌 ↑

posted by 花蓮 at 10:42| Comment(0) | 日記

2020年04月09日

 悲しい歌 (9)

申し遅れたが彼女の名前は 「ゲルトルーデ ツッヒマイスター」
と言った
ブロンドの髪の美しい娘だった
私も当時は髪ふさふさ 178センチの痩身だった
そんなに見劣りしない 
”あの城が〇✕△と言うの ラインで一番美しの”
わたしは城よりゲルの横顔を見ていた
川は早く流れ私の記憶を流し去るようだった
この瞬間をローレライの岩のように固定したかった
posted by 花蓮 at 06:38| Comment(0) | 日記

2020年04月08日

 悲しい歌 (8)

世の中は武漢肺炎で忙しい
わたしの寝ぼけたようなブログを読んでる暇も
ないかもしれない。
財務省の騙しにひっかかるほど馬鹿じゃない
でもそれについてはもっとだれかが書いている。
やっぱり私は 悲しい歌について書こう
 西ベルリンは当時ソ連に囲まれた島のような
存在だった。
空路が唯一ソ連に邪魔されない通路だった
 彼女の故郷はオーストリアに近いハイデルベルグ
と言う町だった。
ツアーはいったん西ベルリンからオランダに行って
ボルスという酒造メーカーを見学してまた西ドイツ
のケルンに行く事になっていた。
私はもう彼女にほれていた
”あさってケルンで会わないか?”
”う〜ん じゃ わたし両親のハイデルベルグに
 帰るからあなたも来ない”
”じゃ 行くよ”
若者の話は簡単に決まる
彼女はハイデルベルグ大学の一年生
ちなみにそこは西ドイツ最古の大学という
ケルンからクルーズ船がライン川を登り
ハイデルベルグの近くまで行くのよ
あなたがオランダまで行ってる間に
クルーズ船の切符買っておくわ。
ホイ ホイ ヤッホー 俺はなんて運がいいんだ
小躍りした
ケルン大聖堂がラインの河畔にそびえている
船はその近くから出航した
これがあの有名なライン川か 途中の小高い丘の
には古城が次々と見えてくる
急な旅だったので古城の名前は調べて来なかった
いつでもまた来よう
でもこれが最後になってしまった
以来五十年機会が巡ってこない
ローレライの岩が見えてきた
ローレライの歌は聞いた事があったが
まさか来るとは思わなかった
https://www.youtube.com/watch?v=ypSs33TB5Uw
   (ローレライの歌 ドイツ語)

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posted by 花蓮 at 22:47| Comment(0) | 日記