2019年01月17日

 中山道 (5)

(5)まで書いてきて大坂女房編と江戸主人公編が残っている
一週間ほど前の夜中、夜逃げの場面の夢を見た
これをヒントに書こうと思ったのだが
だんだん夢の内容を思い出せなくなってきた
点線でくくった秘密日記だった。
ああこれはいけると思って付録舞台の中山道で書き始めたのだが
意欲が枯渇してきた。
ここらで中止させていただきたい。
 (終わり)
posted by 花蓮 at 18:02| Comment(0) | 日記

2019年01月15日

 中山道夜逃げ日記 (4)

ここでちょっと余談
歴史上 中山道が中心になった事が二回あった。
東海道を陽とするならば中山道はやはり「陰である」
東海道中膝栗毛、なんだか楽しくなる
中山道は山の陰
一回は戦国武田氏が滅びた時 織田信長は長篠合戦で武田騎馬軍団
を壊滅させたあと十年ほって置いた
武田内部が腐って落ちる頃五万の大軍で中山道を下ってきた
武田が唯一の抵抗らしい戦をしたのが「高遠城」である。
城にこもったのは勝頼の弟 仁科信盛である
その数三千
武田と運命を共にする侍
信盛は大手門が破られる時 腹をかっさばいて
内臓をつかみだし織田方に投げつけたという
”武田の最後の華”であった
 高遠の桜が美しいのは此の城兵たちの
血を吸ったからだという
「高遠血染の桜」五月彼方に北アルプルプスを望み
 白い残雪と小彼岸桜が城跡に映える

勝頼の最後は武士たちが逃げ去り
侍女十数人だけと自刃する寂しい最後だった
 <中山道 二回目>
それは徳川幕府が滅びるちょっと前
天皇の妹「和宮」が将軍と結婚するため
京都から江戸に下った。
その随行人数二万人
行列が全部通過するのに四日掛かったという。
中山道始まって以来の大イベントだった
 (続)



posted by 花蓮 at 08:32| Comment(0) | 日記

2019年01月14日

 中山道夜逃げ日記 (3)

日記を書き進めるうちに心が固まって来た。
女房と一人娘の「おまあ」の身の振り方である
健蔵が夜逃げした場合、翌日には追手がかかるであろう
女房子供連れでは逃げ切れない。
女房子供は大阪に逃がそう
自分は江戸だと考えが纏まった。
先祖が大坂夏の陣で持ってきた刀を売り払った
それが二十両になった。
十五両を女房に五両を自分が
二日後午前四時、二人は左右に別れた
連絡は従妹が働いている本所米屋と決めた
健蔵は岡谷まであと十里の高遠までやってきた
高遠城の横手の峠道、この峠を越えれば
諏訪大社の前宮に出る
そこから八ケ岳の横をぬけて甲府、大月だ。
追手はまだ来ない
(続)
posted by 花蓮 at 07:56| Comment(0) | 日記