2020年04月25日

 悲しい歌 上海ジャズバー

https://www.youtube.com/watch?v=QloePtb22co
    和平飯店ジャズバー 雰囲気見てね ↑
後で考えるとあの時が人生で一番ピークかなと思う
見合いの彼女が向うから歩いてくる
広い大理石のフロアー
カツ カツ カツ 靴音
上海バスキングのような光景だ
昨日まで越後に居た田舎者が
いや二十歳の頃 ブランデンブルグ門に立ってたんだ
ドイツ分断の塀を見た俺だ
いま 
三食団子のようなバストもウエストも無い
ヘルパーにも相手にされない俺
大理石のフロアーでは
古関裕而のスポーツ行進曲は鳴らなかった
まだ選り好みをしていたのだ
失敗瞬間 人生の
昨晩チューブの「和平飯店第九集」を観た
戦前の日本憲兵隊と国民党軍の女の戦いが
和平飯店で繰り広げられる
全編中国語で想像力で見終わった
俺の人生 まあ〜好き放題やったかな
バチが当たって今朝は三日経った食パンを
お湯を掛けて食った
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上海女の代り ウオ― 愛 にー



posted by 花蓮 at 08:06| Comment(0) | 日記

2020年04月19日

 悲しい歌(11)特2 最終回 和平飯店

〜♪ 窓は夜露に濡れて 都すでに遠のく
小林旭の北帰行である
国民の大多数は北海道に行く夜汽車だと思っている
私も最近までそう思っていた
ところがこれが大間違いだったのだ。
これは朝鮮半島を釜山から平壌に行く北行き
列車の歌だった
当時日本領土だった遼東半島の旅順高等学校へ
戻る帰省帰りの高校生の悲しい気持ちを詠ったものだった
旅順と言えば日露戦争で203高地を争い一万五千人の日本
兵が命を失った場所
日露戦争後旅順高等学校が出来ていたとは知らなかったが校舎の
周りに植えた桜が今も旅順湾をみおろしている。
本題の和平飯店に戻ろう
英語名 ピースホテル 戦前から上海で一番豪華なホテル
ここのジャズバーは映画の舞台にもなっている
そこのカウンターで越後の田舎者が女を待った
新潟で上海の一流ホテルに勤めていた中国人研修生と知り合い
になった
彼が高校の教師をしている時の後輩の女教師と見合いしないかと
言ってきた
不鮮明な写真だったが根がスケベな私は上海に行く気になった。
夜になるとジャズ演奏が始まるらしい
  (続)

posted by 花蓮 at 09:46| Comment(0) | 日記

2020年04月11日

 悲しい歌 (11)  悲しい歌(10) 特1夜霧編

https://www.uta-net.com/movie/1362/
 今日は最終回と思って目覚めると
原稿のアイデアがタップダンスを始めた
まるで浅田次郎並みだ
田舎の次郎とでも呼んでくれ
ハイデルベルグの結末はお決まりの悲恋
聞かないでくれ 書きたくなくなった
其の後帰国しで二十年が過ぎた
〜♪ 夢のスマロかホンキュの街か〜
夜霧のブルースの歌詞である
前の女房は中国人 特級の美人
数のかぞえかたを教えてもらった
イーリャン 三 スー 123である
ひょっとして四馬路ではなかろうか
石原裕次郎の歌う夜霧のブルースは上海の景色では
戦前の上海では米国 フランス 日本などが占領して
それぞれの領地を持っていた。
それを租界という
日本の疎界の銀座と呼べる繫華街を四馬路と言った
勿論 三馬路もあった
ホンキュとは租界の入口 現在も虹口(ホンキュ)空港に
名前が残っている。
祐次郎なんか知らずに歌っているのだろう
水島道太郎(戦前 戦中の俳優)ディクミネ《戦後の歌手)
かれらが歌う夜霧のブルースがある
https://www.youtube.com/watch?v=dVaUn_aH8xQ
 (水島道太郎 デックミネ 夜霧のブルース)
このブログを読むなら是非見てください
水島気分でぴんふー飯店 和平飯店に行ったのですから
その上海で私は”見合い”をしたのだ
 原稿はタップのごとく次々と出て来る
最終回は(特別 1)(特2)と分けなければなるまい
<特2では和平飯店を書きます>
そうしないとホントの終は「鎌倉物語 原由子」と決まっているからだ


posted by 花蓮 at 16:48| Comment(1) | 日記