2018年09月27日

 大和古寺巡礼 <寄り道 B>

またまた寄り道 カンナの発明 これについては
調べていない。とにかく丸い木を板にするのは大変だった
時代劇で板の間が出てくるが、製材所というものが無かった
時代 板五十枚と貴族、寺から注文がくると、木材業者は
てんてこまいだったろう。だいたいは鋸切りで板の形に切ったろう
カンナが発明されてない天平時代 チョウナそれから仕上げは
ヤリカンナ、笹の葉の形をしている。
両はじが刀の刃のようで
凸部を削った。だいたい平面になったろうが透かして見ると
波打っていたにちがい。 従ってまな板のような平面は{台カンナ」
の発明を待たねばならない。 カンナ編おわり
posted by 花蓮 at 09:19| Comment(0) | 日記

2018年09月26日

 大和古寺巡礼《寄り道編)

前回(4)でなで肩について書いたが
今日も続き、私は若い時ブロック塀工事を仕事に
していた事があった。
転害門(てがいもん)の付属する塀に興味があるのだ。
転害門に接続するへいが門柱部分でだんだん盛り上がって行き
「なで肩」のようになっているのだ。この傾斜部分を作るように
親方に言われた職人はどんな定規を使って作ったのだろう。
三角定規の斜辺の定規があったのだろうか。
この職人が自分が美しいと思った角度で作った塀が親方の思う角度より
急傾斜だったら怒鳴られる。
だからだれが作っても同じになるような△定規が必要になるのだ。
特に東大寺のような大きな現場では何百という職人が働いている
だから親方が四六時中付いているわけにはいかないのだ。
直角でない角度は返って難しい。現代のブロックは直角が工場で
生産される。ある意味だれが積んでも曲がらない。
天平の職人はどうしたのだろう。それは寺のドアにも言える
直角でなければ隙間が明く。直角曲り金」はあったのだろう
柱はギリシャの影響でエンタシスと言って真ん中が膨らんでいた
どうやって垂直にたてたのだ。
当時はカンナが無い、チョウナと言って鍬みたいな刃物で
だから天平の柱や板は凸凹していた、どうやって直角を出したのだ
  (天平の不思議篇)


posted by 花蓮 at 15:29| Comment(0) | 日記

2018年09月25日

 大和古寺巡礼(4) 転害門

転害門(てがいもん) 奈良盆地の北辺を
東西に走る街道 昔から重要な道だった。
佐保路(さほじ)と言う。なんて美しい響きだろう
佐保路が東大寺の西の塀に突き当たる正面にそれはある。
今はあまり人が見向きもしない、車ばかりが
忙しく走り抜ける道路だ。そのまま走ると
奈良県庁の角にでる。
法隆寺に今日も入らず、門でお茶を濁そう
この門は良く眺めると天平の香りがして
「ほうずり」したくなる。
江戸期の門と全くちがう
何と呼ぶのかわからないが八本の柱で支えられた
長屋と表現すろのが適当の屋根だ
シビも何も無い平らな屋根 続く塀が「なで肩」のように
門に接続する。
源平の戦乱、戦国をよく乗り切って消失もせず残ったものだと
誉めてあげたい。
ほんとうに天平期のものだろうか
平成の今でもそんなに大事にされているようにみえない。
近くにある大仏殿の方が江戸期でなんの感興も呼びおこさない。
ハ本柱のフラット屋根、なで肩、この二つを見て欲しい。
まだ法隆寺にはいらず、チューブをみると”なで肩”がかの地に
あったようだ、死ぬまでにもう一度行ったら探してみたい。
<なで肩補足説明>
江戸時代及び現代まで塀は門柱に対して90度で接続する
ところが天平は斜めに接続する、どこかにその理由が書いて
あるのかもしれないが、いま私は知らない。


posted by 花蓮 at 10:52| Comment(0) | 日記