2020年04月09日

 悲しい歌 (9)

申し遅れたが彼女の名前は 「ゲルトルーデ ツッヒマイスター」
と言った
ブロンドの髪の美しい娘だった
私も当時は髪ふさふさ 178センチの痩身だった
そんなに見劣りしない 
”あの城が〇✕△と言うの ラインで一番美しの”
わたしは城よりゲルの横顔を見ていた
川は早く流れ私の記憶を流し去るようだった
この瞬間をローレライの岩のように固定したかった
posted by 花蓮 at 06:38| Comment(0) | 日記

2020年04月08日

 悲しい歌 (8)

世の中は武漢肺炎で忙しい
わたしの寝ぼけたようなブログを読んでる暇も
ないかもしれない。
財務省の騙しにひっかかるほど馬鹿じゃない
でもそれについてはもっとだれかが書いている。
やっぱり私は 悲しい歌について書こう
 西ベルリンは当時ソ連に囲まれた島のような
存在だった。
空路が唯一ソ連に邪魔されない通路だった
 彼女の故郷はオーストリアに近いハイデルベルグ
と言う町だった。
ツアーはいったん西ベルリンからオランダに行って
ボルスという酒造メーカーを見学してまた西ドイツ
のケルンに行く事になっていた。
私はもう彼女にほれていた
”あさってケルンで会わないか?”
”う〜ん じゃ わたし両親のハイデルベルグに
 帰るからあなたも来ない”
”じゃ 行くよ”
若者の話は簡単に決まる
彼女はハイデルベルグ大学の一年生
ちなみにそこは西ドイツ最古の大学という
ケルンからクルーズ船がライン川を登り
ハイデルベルグの近くまで行くのよ
あなたがオランダまで行ってる間に
クルーズ船の切符買っておくわ。
ホイ ホイ ヤッホー 俺はなんて運がいいんだ
小躍りした
ケルン大聖堂がラインの河畔にそびえている
船はその近くから出航した
これがあの有名なライン川か 途中の小高い丘の
には古城が次々と見えてくる
急な旅だったので古城の名前は調べて来なかった
いつでもまた来よう
でもこれが最後になってしまった
以来五十年機会が巡ってこない
ローレライの岩が見えてきた
ローレライの歌は聞いた事があったが
まさか来るとは思わなかった
https://www.youtube.com/watch?v=ypSs33TB5Uw
   (ローレライの歌 ドイツ語)

 〜




posted by 花蓮 at 22:47| Comment(0) | 日記

2020年03月29日

 悲しい歌  (7)

初めて欧州に行ったのは昭和43年だった。
当時は欧州旅行なんてまだ珍.しく
途中 アンカレッジで給油した。
欧州食品視察団という団体にもぐり込んで
貧乏人は私ひとり 
後はスーパーマーケットの社長ばかりだった
ところが小僧からたたきあげで社長になった人の
多く全く英語が話せなかった。
私は大学受験で赤尾のマメタン程度の記憶
があった。ので通訳した
当時は東西ドイツが分れていた
飛行機は西ドイツのテンペルホッフ空港に着いた
空港に屋根が付いているとさんざん言われて
いたので どうやって降りるのだろうと
田舎丸出しで窓に頭をくっつけていた。
なんのことはない
駐機スペースに大きなひさしが出ているだけ
あんまりみとれていたせいか となりの
ドイツ人の女性が話しかけてきた
もちろん英語
”日本人はみんな髪の毛が黒いの”
ちょっとからかう余裕もあった
”ドイツ人はみんな金髪なの”
もちろん茶色がいるのも知っていた
”ベルリンは何処行くの”
”いや別に予定ないよ”
明日の夕方から特に暇だ
あなたが時間があれば会わないか
いいよ
僕はルートインベルリンに泊まっている
僕学生でお金が無いから
安いところで食べよう
OK知ってる
ブランデンブルグ門から近い
ところにあるわ。
視察団の親爺におさらばして
ドイツを楽しむぞ
“菩提樹でも歌うか”
♪ ドイチュランド ドイチュランド
   ユーバーアレス〜 ♪

https://www.youtube.com/watch?v=J3VNUjDLUH0
  <ドイツ国歌へ飛ぶ> 旧国歌
 その夜彼女からドイツ国歌教わったのだ
 分断の悲しみ
 シェーネ フロイライン 美しきドイツの婦人よ

posted by 花蓮 at 19:04| Comment(0) | 日記