2019年01月18日

 八重洲

東京駅の八重洲口を知らない人はいないだろう。
この八重洲について書こう
卒業の昭和四十四年私は今は倒産してしまった山一證券に入社した。
同期には早稲田のUK君がいた。
彼は同期の中で弾丸スタートをきった。
彼は新人赴任地として「八重洲支店」に行った
秋ころには私の田舎支店「浜松」にも「うわさ」は流れてきた
私が新規訪問に腐って航空自衛隊浜松基地の滑走路フェンスの際
を歩いていた。
ブルーインパルスが俺の芋虫の上の空を舞っていた。
丸の内の舗道、基地雑草だらけの道、これが八重洲の思い出
家康の時代イギリスの帆船が流れ着いた
乗っていたのはウイリアムアダムス 後の三浦按針。
その江戸屋敷があったのが八重洲(=日本橋・室町)
昭和五十年ころだった思う
八重洲には山一證券本店が兜町から移っていた
”ああ俺の会社も普通の会社の仲間入りかと思った・
八重洲にそびえる{山一」の文字
今は亡き妻も「山一社員」
早稲田のUK君は丸の内の上場会社の役員のUKという名前の人
を廻り{UK会)というのを組織した。
華々しいうわさがドサまで聞こえてきた
 (続)

posted by 花蓮 at 08:59| Comment(0) | 日記

2019年01月17日

 中山道 (5)

(5)まで書いてきて大坂女房編と江戸主人公編が残っている
一週間ほど前の夜中、夜逃げの場面の夢を見た
これをヒントに書こうと思ったのだが
だんだん夢の内容を思い出せなくなってきた
点線でくくった秘密日記だった。
ああこれはいけると思って付録舞台の中山道で書き始めたのだが
意欲が枯渇してきた。
ここらで中止させていただきたい。
 (終わり)
posted by 花蓮 at 18:02| Comment(0) | 日記

2019年01月15日

 中山道夜逃げ日記 (4)

ここでちょっと余談
歴史上 中山道が中心になった事が二回あった。
東海道を陽とするならば中山道はやはり「陰である」
東海道中膝栗毛、なんだか楽しくなる
中山道は山の陰
一回は戦国武田氏が滅びた時 織田信長は長篠合戦で武田騎馬軍団
を壊滅させたあと十年ほって置いた
武田内部が腐って落ちる頃五万の大軍で中山道を下ってきた
武田が唯一の抵抗らしい戦をしたのが「高遠城」である。
城にこもったのは勝頼の弟 仁科信盛である
その数三千
武田と運命を共にする侍
信盛は大手門が破られる時 腹をかっさばいて
内臓をつかみだし織田方に投げつけたという
”武田の最後の華”であった
 高遠の桜が美しいのは此の城兵たちの
血を吸ったからだという
「高遠血染の桜」五月彼方に北アルプルプスを望み
 白い残雪と小彼岸桜が城跡に映える

勝頼の最後は武士たちが逃げ去り
侍女十数人だけと自刃する寂しい最後だった
 <中山道 二回目>
それは徳川幕府が滅びるちょっと前
天皇の妹「和宮」が将軍と結婚するため
京都から江戸に下った。
その随行人数二万人
行列が全部通過するのに四日掛かったという。
中山道始まって以来の大イベントだった
 (続)



posted by 花蓮 at 08:32| Comment(0) | 日記