2018年08月11日

昭和四十年代

動画「〇〇都市」?タイトル忘れた、いくら探してもヒット
しない。三橋達也主演、昭和四十年代の新聞社、もうもうたるタバコ
受動喫煙なんて嘘、地球温暖化と同類の嘘、私の青春時代、
映画は新橋あたりの日常の東京、私の学生時代みんなこうだった。
ストーりーより風景が面白い。続きを見たくて検索するのだが
どうしても出てこない。
そのうち「ナイナイお見合い大作戦」がヒットする。
五十人のうち 俺の好みがいる。
感情移入してみてしまう、 俺が若かったら
倖せにするのになあ
人生やり直しができたらなんて
「昭和四十年映画、ナイナイ」昨夜はおもしろかった。
posted by 花蓮 at 11:07| Comment(0) | 日記

2018年08月09日

 満洲(6) 最終回

満洲の事を書くと参考文献があと50冊は必要
そんなに深入りは出来ないので、身近な「満洲人」の
出来ごとを書いて矮小化してしまおう。
我々四人は近くの焼肉屋に行った。
満洲人の妻とハルピン出身の親友、その夫
六十歳の四人だ
ハルピンの空港に抜ける場末の道に
その女は住んでいた
夫はタクシー運転手で強盗に刺殺された。
それで人生の転機を狙って日本人と結婚したのだ
焼肉は食べ放題なのでどんどん注文する
注文掛かりは、抜け目のない中國人の彼女
妻は一歩抜けている
妻は支払い伝票をいち早く掴む
「支払いで弱みを見せられないのよ」

ある日彼女が訪ねてきて、台所で妻と話してる
「彼女お金借りにきたのよ」
主人の住宅ローンが返せないそうだ
彼女の行動は早い
翌日にはスーパーのパートの口を探してきた・
免許の無い彼女は30分歩いて決めてきた
主人は手も打たず料理酒を飲んでいる。
妻と私にも落雷が落ちた
「わたしあなたと離婚する」
理由は言わない
あとで知った事だが、経常利益3千万の中国人
屑鉄商のところへ行った
始めは故郷方正村の同級生と言っていた
満洲の同級生が日本で再会したのだ。
親友の彼女はその料理酒を飲む主人が今年
脳卒中で倒れた
早速見捨てるるだろうと思っていると
ケアマネと打ち合わせて介護施設を探した
不自由な日本語使ってトイレに手すり業者を
妻とべつなタイプの情に厚い女だった
先夫との息子、白血病と中国で診断された
息子を日本に呼び寄せるために日本語学校の
入学金150万を用立てた。
爪に火を灯すようにして貯めた金だろう。
そして予想外の事が起こった
息子には付き合っている彼女がいた
白血病と知ったとたん逃げると思った
が寄り添うのだ。
予想外の中国人、この母にして この嫁あり
99億の悪辣人種 千人の善人
(満洲 終わり)
posted by 花蓮 at 18:39| Comment(0) | 日記

2018年08月07日

 満洲と 佐久長聖

なんてタイトル?
実は満洲になんの関係もないのだ
昨日夕方テレビを点けると高校野球
「佐久長聖」が旭川と戦かっている
どちらも私の住む地域と縁もゆかりもない
早く終わらないかな ところがどちもまるで
判を押したように点を取り合う
チャンネルを変えて戻ってくると
「タイブブレイク」とやら
まるで死闘という言葉がピッタリ当てはまる。
実は佐久長聖」を密かに応援していた
十分後にチャンネルを戻すと
旭川の選手が袋に砂を詰めている
「ああ 佐久長聖が勝ったのだ」
十年前別れた「満洲妻」と八ケ岳へドライブ
に行った。
清里の清泉寮は「心の故郷)だった
ドライブに先立つ十年前
大学三年の秋
経済学部のゼミナールが清泉寮であった
立教はマルクス経済学なんて言うのが
「大真面目」で全盛だったころ
そのゼミの指導教授はひとり「ケインズ経済学」だった。
マルクスとケインズの違いも判らぬ「馬鹿」が教授の
ゼミに参加していた
教授からみれば「滑稽」だったろうけど
鉄面皮の私はに参加していた
夕食のあと 談話室で教授はピアノを弾き始めた
彼は東大を出たと聞いていた
東大はクラスで三人 数学を放棄していた私は
彼等と口もきいたこともない
六十になって同級会の酒席で彼らが隣に座った
全く近況を話すこともなくビール瓶をもって
蠅のごとく私は飛び去った。
山形大学で教授とかチラッと聞こえた。
話を戻すと教授のピアノは赤岳の岸壁に響くように
胸に染み入った。
ゼミの内容は全く残っていないが
秋の青空に見えた八ケ岳の赤い岩肌は田舎者の私には
「衝撃」だった。
それ以来 二十回も清泉寮に行っている
死んだ最初の妻、むかし 昔の香港の女
心から愛した不倫の女 それから今の満洲女
あのゼミの夜の「感動」をつたえたかった。
だけどあの深い深い裂け目は私だけの裂け目だった
いくら肉体を重ねても移すことはできなかった。
そんな最後の女と夏の終わり清泉寮を旅した。
国道は高原レタスの畑をぬけ佐久平へと下りて
いく。八ケ岳と佐久平は二、三度気温が違う
佐久の街に入ると道にまよった。
それは突然現れた大きな建物 「佐久長聖高校」と書いてあった
佐久は八ヶ岳の香りのする「最後地点」だ
道はいやな越後へと入っていく
でも”浅間がまだ見ている”
正月の箱根駅伝に「出身高校 佐久長聖」と見慣れない名が
出ていた。
佐久とはあの「佐久」かな
そうあの佐久平だ
死ぬ前にだれか「女」と八ケ岳を見れるだろうか
こんどこそこの世のなごり
霊界にも八ケ岳があるかな
八ケ岳横断プラン「赤岳」のあの赤い岸壁を下って 夜 清泉寮に泊まる
ことを夢見ていたがこれは今世では無理そうだ。
テレビでは佐久長聖高校がかった
あの浅間のふもとに帰っていくのか
  八ケ岳によろしく
明日はまた満洲(6)に戻ります







posted by 花蓮 at 00:20| Comment(0) | 日記