2018年11月30日

 安倍寛(2)

秋山よしふるのその後について
奉天の大会戦で大手柄を立てた好古は 
千葉県習志野騎馬連隊に帰還した。
大正に入ると騎馬はさすがに時代遅れになってきた。
それに代わって登場したのが戦車である。
従って騎馬連隊は戦車連隊へと代った。
秋山好古は越後高田連隊の師団長になっていた。
新潟市に彼が書いた石碑が残っている。
今のひとは「アキヤマ好古」なんて言ったって全く分らないだろう
彼は師団長退役後 故郷松山に帰って高校の校長を務めた。
明治は終わった。


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2018年11月29日

 安倍寛と坂の上の雲

彼を知ったのはNHK「坂の上の雲」である。
明治と言う時代を青雲の空の様に司馬さんが歌い上げている。
ナレーションが明治の伊予松山を語る
”行って見たい”あの詩の街へ
その中で秋山兄弟の兄の役「秋山好古」,が安倍寛を見た最初だ。
主人公の秋山真之より「よしふる」役の阿部寛が残る。
余談だが坂の上の雲に心酔したわたしは生まれた二男に
「真之」を名つけた。
日本の近代戦闘で唯一完全勝利を立案した
日本海海戦T字戦法だ。
一説には生まれ故郷「伊予水軍」の戦法を研究した
結果だそうだ。。
話を戻そう この秋山好古は陸軍である。
出来立ての「騎兵隊」を創設した。これは調べていないが
軍服の襟章が「緑」らしい。
乃木将軍が旅順要塞戦に勝利して一日の休みなく
「奉天」へ行った。この奉天は二次大戦ご「瀋陽」と
名まえを変えた。
もちろん当時の奉天は小さい城塞都市、はるかモスクワに通じる
シベリア鉄道のアジアの終点駅だった、
そこにロシア軍三十万、日本軍十五万、着いたばかりの乃木軍三万
満洲の平原に近代戦初めての五十万近い大軍が対峙したのであった。
ここで我ら好古隊はロシア軍左翼のコサック騎兵隊と戦った。
もちろん馬ではコサックに適わない。秋山隊は五丁の機関銃が割り当て
られていた。日本の騎兵隊は玉の限り陣地を死守したが、どんんどん戦死する。
もうだめだという頃 コサックが撤収しはじめた
(幸いにも)ロシア軍司令官は自軍の背後の(満鉄)の駅を、好古隊の斥侯が
攻撃したと勘違いした.退路を断たれると恐怖した彼は
全軍にハルピン目指して撤退命令をだしたのである。
じつは日本軍はもう弾薬が払底してた。
だから追撃できなかった・
奉天大会戦は日本軍勝利に終わった。
このキッカケはロシア軍を大迂回した「秋山好古」騎兵隊の行動であった。
この秋山好古を演じたのが「安倍寛」 今 「下町ロケット」で
注目される俳優、だけどあかね雲の「明治」を思い出させる原点
「秋山好古」「安倍寛」「明治」わたしのたからもの。


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2018年11月23日

 太宰治「佐渡」、森鴎外「高瀬舟」

 太宰が新潟に来ていたとは知らなかった。
チュ−ブ朗読の効用だ、私は一生「太宰」を読むことはない
と思っていた。
それは彼の生い立ち、死に方である。多摩川上水の入水自殺、
それらを読んで追体験したくなかったからである。
宮沢賢治、太宰治、たしか二人とも東北、それに区別が
つかなかった。調べれば簡単、しかし中にまじりたくなかった。
ところが朗読を点けたまま<うとうと>。 ”船は新潟港を出た”
とPCがつぶやく、なんで新潟がと耳だけが目をさます。
川岸の倉庫街を過ぎると白い灯台がある。あレレ これは
いつも見てる信濃川河口風景ではないか。まだ作家が分らない
言葉が明るい、精神病的でない。11月十七日、雨 おけさ丸470トン
今の佐渡航路は千トンは越えている。
これは大正か昭和初めの小説だな、「昨日まで新潟高校で講演、
佐渡は死ぬほど寂しいところ、なぜ旅行するんだ」。
この作家は誰だ、のそのそ布団から出てパソコンを覗く。
朗読 太宰治 「佐渡」とある。
新潟の感想は同感、「風光明媚な瀬戸内海 これから地獄の
方向に向かう」 太宰も北の人 冬の日本海は知っている
旧制新潟高校に講義しにきたらしい。
気候は丁度今ごろ、佐渡が荒波に飲まれるころ。
一時間ちょっとで両津にに船は着く、
この小説では「夷(えびす)」と言っている。
昭和の初め両津は「えびす」と言ったのだろうか
佐渡には両津以外赤泊しか港がない。
めんどくさいから調べない。
これが由比ヶ浜なら直ぐネット、〇〇と美人の扱いの
違いみたいもんでゴメンなさい。
太宰は港につくと提灯を持った客引きに捕まって
一軒の宿屋に、新潟高校生に聞いてきた宿と同じだったので
そこに。佐渡の街は寂しい。今の両津でも四万、太宰が行った頃は
どのくらいだったのだろう。
むかし順徳上皇や日蓮が島流しに遭った島。このあいだ見た古い古い
映画で「あんじゅと厨子王」というのが佐渡ヶ島。
私が子供頃はこの「ヶ」が必ず入っていた。ところが
最近はまったく入らない。
流人や孤島をイメージするからだろうか。
  (つづく)


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