<フィリピンの花 トランペット>
今日は<偶然の話>を書きます
8/7のわたしのブログにこの花の名前がわからないと書きました
<庭のラッパ(ほんとの名前知りません)が何か書いてくれと言っているようで、題も決めず
書き始めます。8/7より>
ところが今朝モンテンルパを検索したらこの花が載っていました、
モンテンルパで亡くなった英霊が思い出してくれと言っていたのですね
昨夜9時から2時間ドラマ(ああモンテンルパの夜は更けて)を見ました
妻と出会う十年前に旅順203高地を訪れ衝撃を受けて「坂の上の雲」をむさぼり読むと
偶然にも今年NHKで年末放映される予定で書店でも山積みです
それ以来中国に引かれ初めて満州の位置を知り、国際結婚の仕事で黒龍江省方正県を
訪れ偶然にも満蒙開拓団の墓に案内されました。
方正県(方正村の意味)にあった開拓団本部に昭和20年10月頃3万人の日本人婦女子が
が終結して無政府状態の中マイナス30度の冬を迎え地面に掘った穴の家で1万5千人が
凍死しました。 現地の中国人が語ってくれた忘れ去られた物語りです
大きな土饅頭の墓、錆びて穴の開いた鉄兜、原型を留めない機関銃などがありました。
その後満州の大地から起き上がる様に 中国人の妻が幾十万の戦没者の化身となって
私に寄り添い 昨夜のドラマを見てティシュを持ってきて「あなた 目が壊れたと思ったら
泣いてるの?」 死刑囚を見て「中国人 こんなに日本人殺さない」と気を使います
・・・<分かってるよ 卑劣に殺したのはシベリア収容所のロシアだ>・・・と心で言った
余談ですが昨日「鶴瓶の家族に乾杯」で台湾を訪問していました
「君 台湾に行きたいか」 「うん行きたい」 「香港、上海、西安も行きたい
あなたの心の中が一番行きたい」 「?」 最後のフレーズが言い間違いかと思った
けど聞き直しはしませんでした 「この人 何考えてる! すごい人」
十年ほど前 これも偶然にモンテンルパを訪れました。
山下奉文大将他が処刑されたのは知っていましたが、なるべく当時の気持ちに引き込まれ
ないよう 草むらの日本人墓地をそそくさと後にしたのです。
ところが今年初めに市立図書館で偶然「渡辺はま子」のCDを借りてきてしまいました
妻に私の十八番「夜来香」を聞かせようと思ったのです
支那の夜、サンフランシスコのチャイナタウンなどの次に「ああ モンテンルパの夜は更けて」
を聞くとあの「草むら」が思出されて 涙が止まらないのです 心が振るえるのです
http://www.youtube.com/watch?v=hGSmo_iIBCs
(ユーチューブ 渡辺はま子さんの歌にいきます)
昨夜のドラマを見て渡辺はま子さんの後半生も戦没者に捧げられたのだと胸を熱くしました
戦中 はま子さんの歌を聞いて敬礼して大空に飛び立ち還らなかった若人を 彼女は戦後
も決して忘れない気高い心の清らかな女性だったのだと知りました。
彼女は覚悟していたのを知りました。 20歳の青年でさえ覚悟して知覧から飛び立ちました
それに引き換え一国の首相がおびえて職務を投げ出すのですから・・
命を軽薄に連呼する女性党首が跋扈する今の日本の為に 大空に散ったのは無念です
とるに足らない 私の命 何か使命に役立てたい 命は地球より重い これは空や黄土や
南海に散華した人だけが使う言葉 彼女が使う軽い言葉じゃない
この世に心残りがあるとすれば 中国の妻・・・そしてもう一つ人生があるなら騒擾の街
南海のマニラのひと
・・・・・この世に偶然はない
<いままであった事もすでにあった事 これからある事もすでにあった事>
聖書コリント人への手紙・・・・
<この世は虚仮(こけ)> この世は夢のようなもので無い・・三経義疏・聖徳太子