2009年09月13日

ああモンテンルパの夜は更けて (1)

Photo <フィリピンの花 トランペット>
今日は<偶然の話>を書きます
8/7のわたしのブログにこの花の名前がわからないと書きました
庭のラッパ(ほんとの名前知りません)が何か書いてくれと言っているようで、題も決めず
書き始めます。8/7より>

 ところが今朝モンテンルパを検索したらこの花が載っていました、
モンテンルパで亡くなった英霊が思い出してくれと言っていたのですね

昨夜9時から2時間ドラマ
(ああモンテンルパの夜は更けて)を見ました
妻と出会う十年前に旅順203高地を訪れ衝撃を受けて「坂の上の雲」をむさぼり読むと
偶然にも今年NHKで年末放映される予定で書店でも山積みです
それ以来中国に引かれ初めて満州の位置を知り、国際結婚の仕事で黒龍江省方正県を
訪れ偶然にも満蒙開拓団の墓に案内されました。
方正県(方正村の意味)にあった開拓団本部に昭和20年10月頃3万人の日本人婦女子が
が終結して無政府状態の中マイナス30度の冬を迎え地面に掘った穴の家で1万5千人が
凍死しました。 現地の中国人が語ってくれた
忘れ去られた物語りです
大きな土饅頭の墓、錆びて穴の開いた鉄兜、原型を留めない機関銃などがありました。
その後満州の大地から起き上がる様に 中国人の妻が幾十万の戦没者の化身となって
私に寄り添い 昨夜のドラマを見てティシュを持ってきて「あなた 目が壊れたと思ったら
泣いてるの?」 死刑囚を見て「中国人 こんなに日本人殺さない」と気を使います
・・・<分かってるよ 卑劣に殺したのはシベリア収容所のロシアだ>・・・と心で言った
余談ですが昨日「鶴瓶の家族に乾杯」で台湾を訪問していました
「君 台湾に行きたいか」 「うん行きたい」 「香港、上海、西安も行きたい 
あなたの心の中が一番行きたい」 
 最後のフレーズが言い間違いかと思った
けど聞き直しはしませんでした 「この人 何考えてる! すごい人」


十年ほど前 これも
偶然にモンテンルパを訪れました。
山下奉文大将他が処刑されたのは知っていましたが、なるべく当時の気持ちに引き込まれ
ないよう 草むらの日本人墓地をそそくさと後にしたのです。
ところが今年初めに市立図書館で偶然「渡辺はま子」のCDを借りてきてしまいました
妻に私の十八番「夜来香」を聞かせようと思ったのです
支那の夜、サンフランシスコのチャイナタウンなどの次に「
ああ モンテンルパの夜は更けて
を聞くとあの「草むら」が思出されて 涙が止まらないのです 心が振るえるのです
http://www.youtube.com/watch?v=hGSmo_iIBCs
 (ユーチューブ 渡辺はま子さんの歌にいきます)
昨夜のドラマを見て渡辺はま子さんの後半生も戦没者に捧げられたのだと胸を熱くしました
戦中 はま子さんの歌を聞いて敬礼して大空に飛び立ち還らなかった若人を 彼女は戦後
も決して忘れない気高い心の清らかな女性だったのだと知りました。
彼女は覚悟していたのを知りました。 20歳の青年でさえ覚悟して知覧から飛び立ちました
それに引き換え一国の首相がおびえて職務を投げ出すのですから・・
命を軽薄に連呼する女性党首が跋扈する今の日本の為に 大空に散ったのは無念です
とるに足らない 私の命 何か使命に役立てたい 命は地球より重い これは空や黄土や
南海に散華した人だけが使う言葉 彼女が使う軽い言葉じゃない 

この世に心残りがあるとすれば 中国の妻・・・そしてもう一つ人生があるなら騒擾の街
南海のマニラのひと
・・・・・この世に偶然はない
<いままであった事もすでにあった事 これからある事もすでにあった事>
聖書コリント人への手紙・・・・
<この世は虚仮(こけ)> この世は夢のようなもので無い・・三経義疏・聖徳太子

posted by 花蓮 at 09:17 | TrackBack(0) | 日中テレビ感想

2009年04月26日

NHK WANDER を見ました

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今週から「ブログ人」の方式が変わり写真が大きくなりました
、いいのか悪いのか?
昨日の土曜日はNHKドラマ「遥かなる絆」第2週目を楽しみに見ました
妻はまだ中国に居るので テレビ電話で「今晩土曜ドラマ見るよ」と言うと残念そうな顔をします。 
北京の親友とホテルに泊まって 話したりトランプをしたり楽しそうです。
ドラマはそれなりに興味深かったのですが、その後の「ワンダーワンダー」が面白かったのです。
その内容は中国の春節(旧正月)の帰省民族大移動の密着ドキュメンタリーです。 
3000万人もの人が大晦日に集中するそうです。
取材の場所は香港の対岸広州駅です。
私はハルビンから日本領事館のある瀋陽に何度も電車で行きましたが、
その風景を思い出しました。日本では考えられない風景です。
                                        
1時間も前から改札に並びます、だいぶ前の方だと安心しているとそうではないのです。  15分前になると突然改札口が開きます、
それから連絡嬌を猛ダッシュで走り ホームに駆け下り列車の入り口に殺到します。
車内になだれ込み空席に荷物を放り投げ確保します。
わざと寝て二人分を占拠しているオジサンを起こすと「敵意の目」を感じます。
結局改札前に並んだのはあまり役立たないのです。

19日に結婚式に行った男性が先週の金曜に帰ってきました。

申し込む前にその男性はわたしのブログやホームページを隅から隅まで読んでくれたのです。
工作機械メーカーのエンジニアです
出発前の休日 4〜5時間も段取りや世間話をしてしまいました。
エンジニアらしく全て細かくメモを取ります私の理想のお客さんでした 
妻の報告で奥さんになった女性も元気で素直だと聞いていましたので空港到着口で明るい顔を待ってました。

喫茶店でみやげ話を聞くと 市内のテレビ塔観光に行くのに運転手にまるめ込まれて郊外の「虎動物園」に行ったそうです。
1000円くらい余分に掛かったけれど、私も見たことが無い「虎のショー」を見たそうで 
結果OKのようです。
「奥さんは中国人にしては珍しい鷹揚な人ですね」
というと「元気がいいので 引張ってもらいます」とうれしそう。

「同気 相 呼ぶ」「似たもの 夫婦」の原則が 幸いをもたらしそう。

 写真:五月来日が決まった 妻の友人と北京にレストランを作った親友

posted by 花蓮 at 10:20 | TrackBack(0) | 日中テレビ感想

2009年04月20日

NHK土曜ドラマ

1 NHK土曜ドラマ「遥かなる絆」を妻と見ました。
あす妻は結婚男性を連れて中国に旅立ちます。
ふとドラマの予告編を見ると、前に書評で読んだ記憶がよみがえりました。

 中国残留孤児の主人公の父が終戦後満州にとり残されて、辛酸をなめた記憶をドキュメンタリー風にドラマにしたものでした。
主人公の娘は父の過去に引かれて、長春大学に留学します。
父が育った黒龍江省の牡丹江という町に行きます。
今は250万の大都会です。
妻と出会う数年前 私はある女性と知り合いになりました。
その娘は6時間も掛けて「牡丹江」から来たと筆談で言ったのです。
 中朝国境に近く朝鮮族が多く住む街です。

話を戻して 昭和二十年八月ソ連は条約を破って突然二百万の大軍で満州に侵攻しました。
 関東軍八十万はすでに南方に転戦しており、防ぐ間もなく入植日本人は難民になりました。 日本に来る中国花嫁の九割は開拓団の本部があった「方正県」の出身です。
満蒙開拓団の絆が無くては今の国際結婚は成り立たなかったのです。
            
日本人は勘違いしてるのです。
方正県から100キロ離れた妻の故郷では誰も「日本人」と結婚しません。
だれでも日本人と結婚すると見下してはとんでもない間違いになるのです。        
時は十月満州の秋は短くすでにマイナス10度に下がり、一万5千人が病気・餓死などで亡くなりました。
方正県には大きな土饅頭型の合葬墓があり、お参りしてきました。
主人公の父は中国人の母に拾われたのです。
ハルビン市の北の大地「方正県」では だれもが知って語り継がれた難民の物語です。
妻の子供の頃と たいして違わない農村風景がドラマに出てきます。
妻も私もティシュで涙を拭きながらみました。
まだあと4回連続です。 
「来週 君は主人公の故郷に居て 続きはみれないなあ」
 「私 見に帰ってくる」 
私はこのドラマのように満州と深い関係を持ったのだと、妻の寝顔を眺めました。

写真:昔の中国絵葉書から               

posted by 花蓮 at 09:29 | TrackBack(0) | 日中テレビ感想