2014年08月03日

翻訳本の森に迷う

昨日は市立図書館に八冊もの

翻訳本を返却してきた。

やはり翻訳物は読むのが難しい

そのうち三冊は読み切れなかった。

読んで記憶に入れる価値が無かった。

急にアクションの場面が出て来るので

ついて行けないのだ。

アマゾンからメールが来た

アマゾンの顧客管理ソフトは精緻だ

私の好みの作家を知っているのだ。

浅田次郎「天国への百マイルの階段」

とか言うタイトルだった。

面白くなさそうな題だが、翻訳物に疲れていた

のでつい中古本260円を見つけて買ってしまった。

出版社を見ると朝日新聞社である。

大御所ともなると一流が出版するのだと思った。

翻訳物と内容の厚みが違う

英語圏の読者は一億人にも上るのだから

「天国・・・」のような浅田の蓄積で

片手間に書いたような小説では無い。

日本のは内容が浅いから一晩で読んだ。

破産者の主人公が肥ったホステスに

食わせてもらっている。

私の昔を思い出した。
/

A子は腹が三段で

脚が太くて 

股を開いても

屈伸姿勢がとれず

ももの肉に埋もれて

あそこに到達しなかった。

/

主人公が千円もなく、

母が千葉の心臓病病院で手術を受ける費用を

出してもらう。

気の良い彼女は主人公が離婚した妻との

復縁を願って、手術後姿を消してしまう。

/

A子と重なる

ちょっと悲しいのはいじらしい純な心の

ホステスの部分だけ

/

市立中央図書館は 岩室温泉の図書館の

返却も大丈夫と言った

PC上の操作だけだが「実際の本」は

稲穂の道をひた走って帰るのだ。

ついでに市立を見ていると

”画期的な訳本”ー聖骸布の仔」を

見つけた。

これの感想文は後日

posted by 花蓮 at 11:02 | TrackBack(0) | 日々の出来事

2014年07月31日

沖縄県民かく戦えり

どうして連続するのであろうか

左翼に満ち溢れた沖縄には

触れたくないと思っていた。

日教組が日本を貶めて、貶めて

糞まみれになった沖縄

沖縄の新聞

もう沖縄のニュースは聞きたくも無かった。

でも今日の夕方

青山繁晴のザボイスを見ようと

YOUTUBEを開けた。

一番新しい日付の7/30を見た

「太田実司令官の三男云々・・」

と書いてある。

何の事かと見てみる

沖縄戦の海軍側の司令官

大田実少将の事だった

32軍の牛島陸軍中将の摩文仁の丘

の自決は多少知っていた。

海軍側の司令壕が残っているそうだ。

沖縄やグアムは日本軍の悲惨な敗戦の

跡なので今まで行く気がしなかった。

これからも行く事は無いだろう。

ここにも有名な

最後の電文があった。

この夏  硫黄島・沖縄と最後の電文

に付き合わされている。

死者の霊のなせる業か

それなら迎えに来たのか

逝っても良い

日教組・左翼新聞の攻撃に今

日本は弱っている。

せめても生きている私は

こんなミニブログで先達が命を懸けて

護った日本の蘇生のお手伝いをしよう

と思っている。

共産中国に破壊されちゃならねえ

大田少将最後の電文

「(前略) 沖縄県民斯く戦えり 県民に対し

後世特別の御高配を 賜らん事を」

この74高地 二ヶ月余りの奮闘も

本日をもって

終止符を打つものと認む。

願わくば 妻よ 俺が死んだら

日本を選んでくれ

日本は君に悪い事はしない

世界に冠たるガラパゴスの国だから

posted by 花蓮 at 20:17 | TrackBack(0) | 日々の出来事

2014年07月30日

NHK夕どきネットワーク 散るぞ悲しき

一昨日 夕どきネットワークを見ていたら

漫才師の内海圭子さんが出ていた。

彼女は94歳

お目に掛かったのは七年前

彼女の夫は私の高校の同級生N君

結婚当時27歳年上の内海圭子さんは

話題になった。

もっとも先方が有名人、友人は名も無い一般人

ただ若かった

われわれ同級生では

「なんであのお婆さんと」

みんなが言った。

しかし今団塊世代が干からびた梅干し

ようになっているのに

彼は内海さんのマネージャーとして

夫として

全国を飛び回って、生き生きしている。

内海さんの生きがいは若い夫だと

彼女が言っていた。

彼の縁で七年前ある団体の創立20周年行事

に内海さんに来てもらった。

厚い芸の蓄積は圧巻であった。

お蔭で私も面目を保った。

その時彼女が昔のエピソードを

語った。

「私が戦前、関東軍慰問で満洲を訪問して

いるとき、夜ご不浄に立ったんです。

暗い廊下でご不浄を探していると、

暗闇で兵隊さんに会ったんです。

その将校さんは親切にも私を案内して

下さったんです。

翌朝分かったのがその将校さんは

栗林さんと言う方でした。

それが後の硫黄島司令官

栗林忠道中将でした」

失礼ながらその講演内容は

すべて忘れたが、この話だけは

覚えているのである。

栗林司令官が大本営に

送った最後の電文。

国の為 重きツトメを

 果たし 得で

 矢弾 尽き果て

  散るぞ悲しき

posted by 花蓮 at 09:11 | TrackBack(0) | 日々の出来事