2014年09月17日

環日本海 古新聞から昔を思い出す

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     <新潟日報>

昨日の夜

ラーメン屋に入ってマガジンラックから

「新潟日報」を手に取って座った。

読むところはローカル記事だけ

政治面は共同通信の転載。

主張はミニ朝日、浅薄で読めない。

子供の頃はこれで育った

地方紙で50万部あるという大きな新聞社だ

高校の同級生が若い頃その十日町支局に居た

私も独身で、彼の田舎の下宿で

酒を飲んだ。

早稲田の政経に受かった

二人で受験に行って、彼だけ合格

苦い鶴巻町の思い出だ

そのころから難しい左翼系、あるいは小説を

読んでいた。

同級生の中では変人で通っていた。

下駄をはいて、今から考えると

文士だったのだ

私ら同級生の想像を超えていた男だった。

新聞社でも変人を通して、平で終わった。

その日報の面白い企画があった。

<環日本海>新潟の対岸

ハルピン、ウラジオストク、ハバロフスク

サハリン、大連、長春、延辺

(朝鮮族自治区)懐かしい姜ちゃんンの故郷

(延吉・中国)、太田(韓国)

と各都市の新聞記事を載せているのである。

「大連晩報」の記事は 折しも今は「中秋」

中國では月餅というお菓子を食べる。

DIYという日本では使われ無くなった

日曜大工という用語、これで月餅の作り方を

教える叔父さんの記事だ。

「黒龍江日報」は炭素素材のもと

黒鉛が10トン発見されたとある。

世界の埋蔵量の45%に

相当するという。

ハルピン工業大学の研究チームが

高付加価値の実験に成功したとある。

ハル工業大学は10万坪の敷地、中国6工業大学に入る名門と

友人は得意そうに説明した。

敷地には民間との提携工場がたくさんある。

私の友人の共産党の幹部の

紹介で70歳くらいのハルピン工業大学」

の教授と飲んだ事があった

私はフレキシブルガス管の工場を作らないか

と言う提携話で会ったのだ。

白酒(ばいちゅう)の飲み比べをして、

56°の白酒をショットグラスに

注ぎ合いをして

「この爺さん 倒れるぞ」と

馬鹿にしてかかったら

七盃 飲んでも止めないのである

私の方が倒れて 一晩中便器を抱いたのを

思いだす。

ラーメン屋の店長にこの新聞頂戴と

頼んでもらってきた。

昨日は16日、

休刊日だったので新聞は15日付

「古新聞なのでいいですよ」

価値ある古新聞。

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2014年05月11日

鴎外の舞姫

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      < 満州里駅>

〜〜〜ナービリグッ カチューシャ〜〜

一番サビの部分で、 声を張り上げる

スカヤの顔を見ると 普通の客に対する顔と違う

私が長年夢見てきた事だ

欧州でドリントルような娘と出会う

「坂の上の雲」で広瀬武雄中尉がロシアの美女に

出会う。

森鴎外が小説「舞姫」でドイツの美女と相愛になる

いろんな場面を夢想してきた

舞台設定は満洲里国境の場末カラオケ

一夜の流れ者ばかり

しかし私の頭の中は 広瀬武雄中尉 モード

スカヤには 優雅に近づきたかった。

どうして ロシア語知ってるの?」

「ほとんど知らないんだ この歌だけ

私の女に対する態度は 「分りやすい」と

亡くなった友人が言った

あんたは直ぐ顔に出るんさ

きっとその時も、 傍目にはばればれ

私の優秀なセンサーは一秒で反応した。

相手の性格も状況も関係なく

瞬間に突き進むのだ

いばらの柵があろうが、堀があろうが

まっしぐらだ。

それが外国人のスカヤに伝わったのか

彼女も娼婦の掟を外しかけた。

{明日は現れない客に 心を許しちゃダメ

この鉄則を一歩踏み外した

「父は 国境の向こう バイカリスクで殺されたの」

商売上のトラブルらしい

      (つづく)

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2014年05月09日

国境に響くカチュ―シャ

昨日はポスト箱に小包が二個入っていた。

おかしいな

二つ開けてみると、なんと津本陽の「八月の砲声」が

入っていたのだ。

どうもワンクリックで買う仕組みが悪くて

ニ社から買ってしまったようだ

もっとも一冊97円だったから、財布に影響はない

定価2200円もするが、力作だから納得だ

それが97円とは申し訳ないような気がする

二冊とも帯封がまだ残っていて新刊のようだ

前日の古地図に関心のある方は

シベリア国境を探して、その線の隣りが<満州里>だ

それから国境線を追って西に行くと

ノモンハンがある。

とにかくこの国境付近で一万五千もの

日本軍将兵が亡くなったのだ。

場末のカラオケに戻ろう

私の心はスカヤに奪われていた

私の家は戦前地主で、中学生の頃 傾きかけていた。

うすうす知ってはいたが、父は見栄を張って

当時としては破格の家庭教師を付けてくれた。

その先生が新潟大学の学生委員長だったらしく

学生の理想、ソビエト社会主義に憧れていたのだと思う

原語で<カチュウシャ>を教えてくれた。

それが印象に残ったのか、今でも歌えるのだ。

それがここで役立った

「スカヤ カチュウシャを入れて」

「ロシア語だよ 分るの」

「いいから 入れて」

♪ りんご〜の花ほころび ♪

スカヤの顔を見ながら、私の口からロシア語が飛び出した

♪ ラスツべターリ ヤブロニエグルシェ 〜ビハイーイラ

ナビリ〜グルシェ カチュウシャ〜

売春婦だったけど ワイングラスを扱うように

おずおずと近づいた。

スカヤの目には驚きの色が広がった。

         (続く)

posted by 花蓮 at 10:04 | TrackBack(0) | 日中感想