2019年09月04日

 柿崎梅子の事

九月四日午前五時、三時半に目が覚めて
あまりもはっきりしたゆめだったのでブログに記すことにした。
ゆめのなかで私は数億の資産家、介護専用の二十五歳の社員がいる
私は病院にいた、そこに若い看護婦がいる
わたしは社員に「おいお前 彼女つくれ」
 「きみ何て名前」看護婦に聞いた
「柿崎梅子です」 
と夢の中ではっきり言った
夢にしては出来過ぎ
携帯は」
〇〇××です」これもはっきり
彼女は若い社員にメモを渡した。ここで目が覚めた
立教一年の冬 
街ではロスプリモスのラブユウ東京がはやってた頃
体育の授業で越後湯沢に行った
池袋の正門前に観光ばす
学部を越えた統合授業だったのだろう
普段は見掛けない文学部の女子がいっぱいいた
カラフルなスキーウエア―を着ている
満員だった 隣の席に髪の長い子が座った
「はじめまして経済の〇〇です」
「英文科の柿崎です」
「僕新潟です」
「あら父も新潟なのよ」 
すっかりネイティブ東京弁で彼女は言った
戦国時代、春日山の上杉謙信は柿崎氏を攻めた、
柿崎は城に籠って抵抗した。
日本海沿い柿崎町である
こんな歴史を私は知っていた
夢の戦国柿崎は新潟市の柿崎梅子とつじつまが合う、立教の柿崎麗子
今は六時 すっかり庭は明るくなっている。
<夢の第二編>
私は〇〇美香と軽井沢の追分に暮らしている
窓を開けると白煙を上げる浅間が見える
追分は小諸懐古園と軽井沢の中間だ
土地は軽井沢プリンス通ほど高くなく
250坪敷地35坪の平屋は地元の別荘専門の工務店に頼むと
五六千万するので新潟市のログハウス専門業者にたのんだら
三千万でできた
浅間を眺める広い三間九尺のウッドデッキは これだけはゆずれない
人工木にした。
あと十年しか生きないので木が腐るとこまで心配
する必要がないと思うが妻のメンテのことまで
考えてしまう。
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臨終は佐久総合病院か浅間を眺める自宅のベッドか
妻とはバイアグラを飲んで最後を振り絞ってできた
息子が「佐久長聖高校」から京大文学部に通う
芥川賞をとり三島由紀夫ばりの華麗な文章と
熊本生まれの眉毛のはっきりした祇園の舞妓と恋仲になるなんて夢・・・
 (写真・ハルピンにて。 中国にも一万人にひとり正直な女がいる)

posted by 花蓮 at 06:36| Comment(0) | 日記
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