2019年03月01日

 昔話まんぷくラーメン

わたしは西武線の椎名町に住んで居た。
学生時代でも一番悲惨な時だったので
二度とその駅におりる事はなかった。
西武鉄道が池袋西武百貨店の一階から出て
山の手線を「またぐ」ようにカーブを描いて越える。
と間もなく椎名町に着く。
そこは池袋のはずれと言ってもいいような町だ
立教は椎名町との中間ある。
だから下宿から歩いても学校に行けた。
いくら学生でも120円をけちって電車に乗らない事はなかった。
その下宿の床は地面から十センチくらしかなかった。
だから雨が降ると水が入って来て悲惨だった。
その下宿思い出は「まんぷくラーメン」だった
故郷の母がまんぷくラーメンの模造品を一箱送ってきた。
とにかく腹を空かせていた時代
考える事は女とめし
山形西高の彼女は荻窪の日大野郎との付き合いが忙しくて
疎遠なっていた。
なめくじと同じ高さに住むわたしは
段ボール箱を開けてラーメンの残りを数気にしながら
横川釜飯の空容器にお湯を注いだ
たぶん模造品だったのでそんなに美味しく無かったが
手軽に腹を満たした。
たぶん朝ドラを見ていると「椎名町時代」を思い出す。
まだ見ぬ女と一発やる希望に燃えてた二十歳
なめくじが部屋に入ってきても悲惨ではなかった。
そんななけなしの財布から二万円を工面して
池袋芳林堂でドイツ語会話のレコードを買った。
いまでも少し喋れるのは腹すかしにちょっと打ち勝ち
腹ばいになって庭の雑草より低い畳で、
質屋で買ったターンテーブルを回した。
巣鴨でコカコーラ配達のバイトをした
左右四本の指で瓶の胴体を掴み、24本を
かかえてスナックの階段を昇るのだ。
たった一本で12本重み支える事ができるのを知った。
仕送りを補てんする収入だった。
まんぷくラーメンの最後の一袋にお湯を注ぐと
また空腹に耐える期間がやってきた。
若い頃は女体とラーメン
 (西武椎名町編おわり)



posted by 花蓮 at 07:23| Comment(0) | 日記
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