2018年12月26日

 信濃の国そのごの恵子

立教を卒業して二年がたっていた。
山一證券の新規客(自分で開拓した客)も増えて
任され株(これは法律違反)は五万株もあった。
篠原恵子とは池袋のクリスマス「接吻」以来
会っていなかった。
ある春の日曜日、浜松に転勤になっていた俺は
東京の恵子に電話した。
「元気 結婚生活はどう?」
「まあ~ まあ~よ 子供が生まれたの」
パンツを脱いで海老のようにマングリ返った恵子の
姿を想像した。
おれはまだ女体をしらなかった
ビデオを見てやる形は知っていたが
そんな事はおくびいも出さず
「おめでとう 可愛いいかい」 きわめて明るい声でいった
「今度 東京に行くけど会うか」
「いいわよ 「じゃ上野の西郷さんのところで」
東京の女になったとはいえ 田舎者同士
そんな洒落た所は思いつかない
朝早く浜松を出ると 午前には上野に着いた
そこには赤ん坊を抱いた恵子が立っていた
「抱いて見る」
俺はまだ見ぬ日大野郎の子を抱いた
でも半分は恵子の子供だ
柔らかくて可愛い
その子も もう三十を越えた
”おまえが赤子の時 上野の山で
俺の腕の中にいたんだぞ
女とは「大名時計」みたいなもんだ
突っ立った胎内に精子を受けて赤子に
する機能が入っている。
不思議なもんだ。おれは恵子のもう戻れない
顔を見た。
夏の磐梯山の檜原湖での合宿
恵子は溺れそうになった
一瞬「俺は死んでもいい」そう思ったを五十年
経っても鮮やかに覚えている。
一生で一辺の経験
恵子は水の中でじっとしていた
俺は首に手を廻し岸に向かって泳いだ
湖の底に沈んだ不気味な樹木が見えた
あのまま死んでも もう私を思い出す両親も
水底にいる。
恵子はそんな俺の決意を知らない
なにやらの展示を美術館で見た





posted by 花蓮 at 07:05| Comment(0) | 日記
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