2018年11月29日

 安倍寛と坂の上の雲

彼を知ったのはNHK「坂の上の雲」である。
明治と言う時代を青雲の空の様に司馬さんが歌い上げている。
ナレーションが明治の伊予松山を語る
”行って見たい”あの詩の街へ
その中で秋山兄弟の兄の役「秋山好古」,が安倍寛を見た最初だ。
主人公の秋山真之より「よしふる」役の阿部寛が残る。
余談だが坂の上の雲に心酔したわたしは生まれた二男に
「真之」を名つけた。
日本の近代戦闘で唯一完全勝利を立案した
日本海海戦T字戦法だ。
一説には生まれ故郷「伊予水軍」の戦法を研究した
結果だそうだ。。
話を戻そう この秋山好古は陸軍である。
出来立ての「騎兵隊」を創設した。これは調べていないが
軍服の襟章が「緑」らしい。
乃木将軍が旅順要塞戦に勝利して一日の休みなく
「奉天」へ行った。この奉天は二次大戦ご「瀋陽」と
名まえを変えた。
もちろん当時の奉天は小さい城塞都市、はるかモスクワに通じる
シベリア鉄道のアジアの終点駅だった、
そこにロシア軍三十万、日本軍十五万、着いたばかりの乃木軍三万
満洲の平原に近代戦初めての五十万近い大軍が対峙したのであった。
ここで我ら好古隊はロシア軍左翼のコサック騎兵隊と戦った。
もちろん馬ではコサックに適わない。秋山隊は五丁の機関銃が割り当て
られていた。日本の騎兵隊は玉の限り陣地を死守したが、どんんどん戦死する。
もうだめだという頃 コサックが撤収しはじめた
(幸いにも)ロシア軍司令官は自軍の背後の(満鉄)の駅を、好古隊の斥侯が
攻撃したと勘違いした.退路を断たれると恐怖した彼は
全軍にハルピン目指して撤退命令をだしたのである。
じつは日本軍はもう弾薬が払底してた。
だから追撃できなかった・
奉天大会戦は日本軍勝利に終わった。
このキッカケはロシア軍を大迂回した「秋山好古」騎兵隊の行動であった。
この秋山好古を演じたのが「安倍寛」 今 「下町ロケット」で
注目される俳優、だけどあかね雲の「明治」を思い出させる原点
「秋山好古」「安倍寛」「明治」わたしのたからもの。


posted by 花蓮 at 09:45| Comment(0) | 日記
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