2018年11月23日

 太宰治「佐渡」、森鴎外「高瀬舟」

 太宰が新潟に来ていたとは知らなかった。
チュ−ブ朗読の効用だ、私は一生「太宰」を読むことはない
と思っていた。
それは彼の生い立ち、死に方である。多摩川上水の入水自殺、
それらを読んで追体験したくなかったからである。
宮沢賢治、太宰治、たしか二人とも東北、それに区別が
つかなかった。調べれば簡単、しかし中にまじりたくなかった。
ところが朗読を点けたまま<うとうと>。 ”船は新潟港を出た”
とPCがつぶやく、なんで新潟がと耳だけが目をさます。
川岸の倉庫街を過ぎると白い灯台がある。あレレ これは
いつも見てる信濃川河口風景ではないか。まだ作家が分らない
言葉が明るい、精神病的でない。11月十七日、雨 おけさ丸470トン
今の佐渡航路は千トンは越えている。
これは大正か昭和初めの小説だな、「昨日まで新潟高校で講演、
佐渡は死ぬほど寂しいところ、なぜ旅行するんだ」。
この作家は誰だ、のそのそ布団から出てパソコンを覗く。
朗読 太宰治 「佐渡」とある。
新潟の感想は同感、「風光明媚な瀬戸内海 これから地獄の
方向に向かう」 太宰も北の人 冬の日本海は知っている
旧制新潟高校に講義しにきたらしい。
気候は丁度今ごろ、佐渡が荒波に飲まれるころ。
一時間ちょっとで両津にに船は着く、
この小説では「夷(えびす)」と言っている。
昭和の初め両津は「えびす」と言ったのだろうか
佐渡には両津以外赤泊しか港がない。
めんどくさいから調べない。
これが由比ヶ浜なら直ぐネット、〇〇と美人の扱いの
違いみたいもんでゴメンなさい。
太宰は港につくと提灯を持った客引きに捕まって
一軒の宿屋に、新潟高校生に聞いてきた宿と同じだったので
そこに。佐渡の街は寂しい。今の両津でも四万、太宰が行った頃は
どのくらいだったのだろう。
むかし順徳上皇や日蓮が島流しに遭った島。このあいだ見た古い古い
映画で「あんじゅと厨子王」というのが佐渡ヶ島。
私が子供頃はこの「ヶ」が必ず入っていた。ところが
最近はまったく入らない。
流人や孤島をイメージするからだろうか。
  (つづく)


posted by 花蓮 at 11:55| Comment(0) | 日記
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