2018年11月09日

素人は危ない 鎌倉

今日から数回 西国の旅に出よう
私の夢と言う事でもしお金があったら長野佐久に住む
東京月島」を書いた。そのシリーズで鎌倉・湘南、四国の瀬戸内海
大分宇佐八幡、に住むのはどうだろう。
どうせお金はない 書くのは無料。
さっそく鎌倉だ、観光地でだれもが一度は行った事があるはず。
過去いろんな文人、高級官吏が住んだ、
有名なところでは彼の山本五十六元帥も自宅を構えた。
鎌倉を囲む山、特に朝比奈インター辺りの山から流れ出す
「滑川」が中心部を貫き横須賀線のガードに下をくぐるあたりの川端に
山本元帥の家はあった。 ここからが本題。  ガードをくぐると
いまでも寂しいが鎌倉時代は町はずれ 墓場だ
若宮大路が海に突き当たる辺り、由比ヶ浜。
由比ヶ浜墓地、ここに刀傷のある人骨が 何百体と出土した。
興味ある方はネット検索で由比ヶ浜墓地でどうぞ。
湘南のネェちゃんが浮かれ騒ぐ浜は 鎌倉幕府の侍がいっぱい死んだ場所
鎌倉幕府が滅亡する日
南武線の分倍河原で新田義貞軍に負けた日 五万のうち数千は鎌倉に逃げ返り
「七つ」の切通の木戸を閉めた。鶴岡八幡の左手に大船に抜ける道がある。
北鎌倉に駈けて今でも道が細いが当時は馬車がすれ違うのがやっと。
ここは防備が一番厚かった。
鎌倉幕府側は一週間持ちこたえた。
それで新田軍は稲村ケ崎の突端に廻った
今は国道が稲村ケ崎の岩を切り崩して道を通している。
 余談だがその切通の端に「メイン」というレストランがある。
かなり有名なので読者の中にも食事をされた方も多いだろう。
メニューのマグロの カマステーキがかなり美味い。
若い日見つけた女と江の島が見える窓辺に座ってそのステーキを食べた。
目の前の国道を渡って稲村の海辺に出るととても由比ヶ浜に
行けそうもない。 「つめた〜ィ こわいよ〜」 女は甘えた声を上げた
桑田の稲村ヶ崎の唄 「だれも湘南なんて言わねえの ここは稲村ケ崎」 「
幕府軍も防備は薄かった。
それでもなだれ込んだ新田軍と幕府侍との白兵戦がこの浜であった
刀傷の人骨が数百体出土したのが滅亡の「断末間の叫びだ。
生き残った数十人が若宮大路を鶴岡八幡方面に逃げた
ところが北鎌倉の木戸も破られた為 そっちからも新田軍が来る
逃げ場をうしなった残兵九百人は北条執権屋敷の裏手の
鎌倉を囲む山を背にした「東勝寺に集まった」 九百人が腹を切った。 
鎌倉幕府「終焉の地」である。いまも荒れた空地が残っている
其の日を堺に幕府はないので九百の遺体は野犬が喰い散らかし
それは悲惨な光景   
もし鎌倉観光に行って
”霊的に自信”(恨みの霊を跳ね返す)のある方は鶴岡八幡から
5分くらいなので行って見たらどうだろう。
(ただしその後の不幸には責任が持てません。)
<追記> 稲村ヶ崎墓地もあります、刀傷人骨が出ます
     ネット検索どうぞ
  続く





posted by 花蓮 at 14:46| Comment(0) | 日記
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