2018年08月30日

 京成おばけ煙突と戦災孤児

今朝2時ころ深夜放送を見た
上野駅の地下道に浮浪者、戦災孤児がいた
私の祖父が成田市にすんでいたので昭和二十年代
冬休み。夏、には京成上野から成田に行った。
西郷さんの地下で乗って日暮里の崖から地上に出る
足立区の高架を京成は走った
四本の煙突が見えてくる 祖父は[あの煙突は一本になるぞ」と言った
やがて三本が消えて一本になった。
後年 京成の線路が煙突を中心に円を描き
見る角度によって重なる事を知った
30年代も近づくと上野駅の戦災孤児はいなかったが成田市の自宅の隣りが
〇〇学園といって戦災孤児の収容施設だった。
貧乏だったが両親そろった私は学園を遠巻きに通った。
昨夜の戦災孤児の特集は興味深かった。
その私も人生の終盤を迎えている、孤児たちもみんな年上
文献はあっても「体験者」はいなくなってきている。
祖父も両親も他界 学園の様子を聞きたいと思ったがもう遅い。
チューブをみていたら古い映画に「煙突の見える〇〇」と
今はもうない「お化け煙突」が映っていた。
たしか「青砥」とか言う地名だった
いまも京成に在るだろうか

posted by 花蓮 at 09:24| Comment(0) | 日記
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