2018年08月07日

 満洲と 佐久長聖

なんてタイトル?
実は満洲になんの関係もないのだ
昨日夕方テレビを点けると高校野球
「佐久長聖」が旭川と戦かっている
どちらも私の住む地域と縁もゆかりもない
早く終わらないかな ところがどちもまるで
判を押したように点を取り合う
チャンネルを変えて戻ってくると
「タイブブレイク」とやら
まるで死闘という言葉がピッタリ当てはまる。
実は佐久長聖」を密かに応援していた
十分後にチャンネルを戻すと
旭川の選手が袋に砂を詰めている
「ああ 佐久長聖が勝ったのだ」
十年前別れた「満洲妻」と八ケ岳へドライブ
に行った。
清里の清泉寮は「心の故郷)だった
ドライブに先立つ十年前
大学三年の秋
経済学部のゼミナールが清泉寮であった
立教はマルクス経済学なんて言うのが
「大真面目」で全盛だったころ
そのゼミの指導教授はひとり「ケインズ経済学」だった。
マルクスとケインズの違いも判らぬ「馬鹿」が教授の
ゼミに参加していた
教授からみれば「滑稽」だったろうけど
鉄面皮の私はに参加していた
夕食のあと 談話室で教授はピアノを弾き始めた
彼は東大を出たと聞いていた
東大はクラスで三人 数学を放棄していた私は
彼等と口もきいたこともない
六十になって同級会の酒席で彼らが隣に座った
全く近況を話すこともなくビール瓶をもって
蠅のごとく私は飛び去った。
山形大学で教授とかチラッと聞こえた。
話を戻すと教授のピアノは赤岳の岸壁に響くように
胸に染み入った。
ゼミの内容は全く残っていないが
秋の青空に見えた八ケ岳の赤い岩肌は田舎者の私には
「衝撃」だった。
それ以来 二十回も清泉寮に行っている
死んだ最初の妻、むかし 昔の香港の女
心から愛した不倫の女 それから今の満洲女
あのゼミの夜の「感動」をつたえたかった。
だけどあの深い深い裂け目は私だけの裂け目だった
いくら肉体を重ねても移すことはできなかった。
そんな最後の女と夏の終わり清泉寮を旅した。
国道は高原レタスの畑をぬけ佐久平へと下りて
いく。八ケ岳と佐久平は二、三度気温が違う
佐久の街に入ると道にまよった。
それは突然現れた大きな建物 「佐久長聖高校」と書いてあった
佐久は八ヶ岳の香りのする「最後地点」だ
道はいやな越後へと入っていく
でも”浅間がまだ見ている”
正月の箱根駅伝に「出身高校 佐久長聖」と見慣れない名が
出ていた。
佐久とはあの「佐久」かな
そうあの佐久平だ
死ぬ前にだれか「女」と八ケ岳を見れるだろうか
こんどこそこの世のなごり
霊界にも八ケ岳があるかな
八ケ岳横断プラン「赤岳」のあの赤い岸壁を下って 夜 清泉寮に泊まる
ことを夢見ていたがこれは今世では無理そうだ。
テレビでは佐久長聖高校がかった
あの浅間のふもとに帰っていくのか
  八ケ岳によろしく
明日はまた満洲(6)に戻ります







posted by 花蓮 at 00:20| Comment(0) | 日記
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