2015年05月27日

村松歩兵第三十連隊と楊貴妃

<村松城の中にある 郷土資料館>

   <村松の楊貴妃>

けさ五時窓を開けると 甘い匂いが入ってきた

この匂いは朝だけ、九時頃には霧消する

 

新潟のローカルニュースを見ていたら

村松歩兵第三十連隊の跡をある老人が訪ねていた

村松町の連隊は終戦間際 通信部隊に代っていた

ここに16歳、17歳の少年が入隊して

19年戦況暗く 繰り上げ卒業して230人が

フィリピンに送られた。

途中バシー海峡で魚雷攻撃を受け輸送船が沈没

少年達は海の藻屑となった。

生き残りの老人が村松町を訪れたのである

 

村松町は新潟市の北、

出羽山脈にぶち当たる東西数キロの

胃袋の様な盆地である。

後ろは太平洋側まで町は無く

本当のドン詰まりなのだ

幹線国道も鉄道も無い

だから衰退は激しい

此処は江戸時代 譜代大名の城下町なのだ

村松藩 堀家三万石

城と言っても陣屋みたいなものがあった

その跡が歩兵第三十連隊

今は郷土資料館になっている

前置きが長くなったが

来週村松町にカツ丼を食べに行こうという事になった

村松は桜の名所で

今年桜まつりの広告が地元紙に載っていた

そこに中国名らしき食堂があった

私の高校時代の初恋の名だ

彼女はこの町から越境入学してきていた中国系超美人

そして当時あった旺文社全国模試で2番に

なったのだ。

偏差値の違いに ”おら田舎の高校生”は気おくれしたのだ

淺田次郎の「霞町物語」とは あまりに違うオイラは田舎者。

とにかく 彼女の実家らしき食堂で

カツ丼を食べるのだ

第三十連隊の煉瓦の門柱だけ残っている

村松藩の江戸藩邸は江戸城から上野寛永寺に

向かう「御成り道」(今の外堀通)にあった。

 吹けば飛ぶような小藩だったが
 将軍が「御成り道」を通る時は警護の役だった。
 
村松藩の武士二名が赤穂浪士の討ち入りに加わって
明け方までいたが、引揚の時 赤穂の名誉の為
姿を消した。
村松藩の資料にある実話
 
 新潟の忘れ去られた町にもささやかな歴史があった。
 
五十年前 楊貴妃のような人が住んだ町 村松
あの柳も彼女が触れたかも知れない
 
 
 一昨日 ブックオフで100円の村上兵衛の「桜と剣」
 を見つけた。
 彼の父が肺結核に掛かって 東京の参謀本部から
 島根県の浜田という町にあった陸軍病院に移った
 その本に当時の歌が載っていた
 
 〜浜田か鯖江か村松か
 飛ばされそうで気にかかる〜
 
 この明治の軍歌にある村松とは
 村松歩兵第三十連隊のことだ
 新潟平野のどん詰まり
 村松町は明治の兵隊にも嫌われたのが分る
 
 来週 初恋と通信隊の少年兵の慰霊と
 村松藩の遺跡見学を兼ねて行ってくる。
 とぼりそうな オジサンのささやか小旅行
 
 藩も連隊も楊貴妃も流れる記憶のかなたへ
 
 
 

 

 

 

 

posted by 花蓮 at 06:08| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
村松町(旧)は新潟市の南東のような・・・・。はて。
Posted by 偶然到着 at 2019年04月23日 16:03
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