2007年09月30日

青春が駆け抜けた街

Photo Photo_2 昨日愛知県蒲郡市の青年から結婚の履歴登録がありました。彼と話しているうちにもくもくと忘れていた三十八年前の記憶がよみがえってきました。私は昭和42年4月東京鷺宮にあった山一證券の独身寮にいました。3ヶ月間佐賀町にあった研修センターに通っていましたがその時同室に居たのが蒲郡出身のM君です。街にはカルメンマキの「時には母のない子のように」が流れて、不安な新人の心を包みました。私の最初の赴任地が浜松です。東京でかっこ良い営業を夢見ていた私には、浜松駅の古びた木の改札扉を通って見た街は灰色でした。手には東京駅で片思いの彼女がくれた別れの「さくらんぼ」がありました。浜松航空基地のネットフェンス沿いを青空のジェットを見上げて、飛べぬわが身を嘆いて歩きました。そのとき同じ会社でなぐさめてくれたのが最初の妻です。デートで蒲郡に行ったのを鮮やかに思い出したのでした。M君は地元の大きな会社の息子で、早々と山一を辞めて帰郷していて遊びに行ったのです。ネットで調べたら商工会議所の役員になってました。その妻も不治の病で他界、今次男は登録青年と同じ歳。青春が駆け抜けた東海路でした。写真:浜松城、浜松基地のイメージ(飛べなかった鳥):

posted by 花蓮 at 13:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/178354437

この記事へのトラックバック