2019年01月19日

 八重洲 (2)

私ら世代にとって八重洲といえば「ブックセンター」でしょう
山一を辞めてから上京すると、地上から出て右へ、広場の向うに
山一の本店ビルが見えた
横断歩道を渡ってセンターに入る。今日はどんな本に出会えるだろうか
やはり田舎者の私には丸の内の洒落たレストランは気おくれする。
本屋はどんなに難しくても古女房の家だ
角の口からから入るとホッとする。
ふっと江渡時代にスリップする
和田蔵門を出て外堀をこえてしばらく行くと松林
その先は江戸湾の波がひたひたと寄せる。
左手にはには佃の埋め立て地と海苔の養殖の杭が林立する
百年後には松林には赤レンガの東京駅がもう百年ごには
砂浜の地下には世界一の「八重洲地下街」が出来ていた
本を選び終えると 地下街のはずれいつものガランとした
レストランでカレー。
後は六時の朱鷺号で雪国に帰る。八重洲の旅終わり
posted by 花蓮 at 07:20| Comment(0) | 日記

2019年01月18日

 八重洲

東京駅の八重洲口を知らない人はいないだろう。
この八重洲について書こう
卒業の昭和四十四年私は今は倒産してしまった山一證券に入社した。
同期には早稲田のUK君がいた。
彼は同期の中で弾丸スタートをきった。
彼は新人赴任地として「八重洲支店」に行った
秋ころには私の田舎支店「浜松」にも「うわさ」は流れてきた
私が新規訪問に腐って航空自衛隊浜松基地の滑走路フェンスの際
を歩いていた。
ブルーインパルスが俺の芋虫の上の空を舞っていた。
丸の内の舗道、基地雑草だらけの道、これが八重洲の思い出
家康の時代イギリスの帆船が流れ着いた
乗っていたのはウイリアムアダムス 後の三浦按針。
その江戸屋敷があったのが八重洲(=日本橋・室町)
昭和五十年ころだった思う
八重洲には山一證券本店が兜町から移っていた
”ああ俺の会社も普通の会社の仲間入りかと思った・
八重洲にそびえる{山一」の文字
今は亡き妻も「山一社員」
早稲田のUK君は丸の内の上場会社の役員のUKという名前の人
を廻り{UK会)というのを組織した。
華々しいうわさがドサまで聞こえてきた
 (続)

posted by 花蓮 at 08:59| Comment(0) | 日記

2019年01月17日

 中山道 (5)

(5)まで書いてきて大坂女房編と江戸主人公編が残っている
一週間ほど前の夜中、夜逃げの場面の夢を見た
これをヒントに書こうと思ったのだが
だんだん夢の内容を思い出せなくなってきた
点線でくくった秘密日記だった。
ああこれはいけると思って付録舞台の中山道で書き始めたのだが
意欲が枯渇してきた。
ここらで中止させていただきたい。
 (終わり)
posted by 花蓮 at 18:02| Comment(0) | 日記