2018年12月12日

 紀平の謎

紀平梨花が彗星の如く現れた、しかもまだ十六歳。
私はフイギァが嫌いだった。
それは「失敗」と「涙」がつきまとっていたからだ
淺田のイメージはキムヨナの後塵を拝して泣いていた。
またザギトワに負けるのではないか
実況放送が終わってから見た
なんと堂々と勝っているではないか。
彼女のようちえん片手側転や跳び箱を見た
私には跳び箱の恐怖が蘇った。
この子は違うんだ、俺なんかが心配する”たまじゃない”
(これは男性にのみ使う言葉か)
なんとか言う「三回転半}は相当難しい 誰にでも
できる技じゃないのを知った。
ザギトワの目の大きい顔は若い頃は好みだった
紀平の典型的な「平安顔」は(弥生顔は)
好みでなかった。
ここからが本題
日本の名前のルーツ、「源平藤橘」それに続く大族「紀」氏
此の族の有名人が紀貫之(きのつらゆき)・土佐日記であろう。
紀平梨花は「紀」族だろうと思う。
ここで疑問。
「平氏」も古来より有名族
この有名族の「紀」と「平」が合わさっている紀平
はどちらが派生の元か。
大平、小平菜緒、いずれも「平氏」の流れ
天皇をルーツとする「平氏」これに重点をおくべきか
それとも「紀」うじなのか。

posted by 花蓮 at 08:52| Comment(0) | 日記

2018年12月05日

 潜水空母知ってる(2)

潜水空母の概略を説明しておこう。
潜水艦は普通千トンくらいだ
それがこの「イ四00号」は五千トンもあるのです。
その前に番号ですが400番です
普通は二けたですが、完成した三隻。、四百、四百一、四百二です。
構造は葉巻の様な二つの船体をくっつけて板かまぼこのような
格納庫と乗せた。
これで重心がが下がり安定したのです
無給油でアメリカ東海岸までアルゼンチンを廻り
行けたのです。
戦闘機「晴嵐」(せいらん)は羽をねじり折り曲げて格納した
それでも三機目のプロペラが入らず扉を「じょうご」のように
尖らして閉める事ができた。
晴嵐は発進まで十五分で出来るように猛訓練を重ねた
扉を開けると艦首まで30メートルのカタパルトレールがある
爆薬を使った急発進装置である。
着艦は浮きフロートが車輪に付いており海に着水した、
その後は甲板ある電柱のようなクレーンを立てて
機体を吊りあげた。
このように世界初の”潜水空母”は完成した。
訓練期間も含めると出航は昭和二十年八月と言うのが
最短であった。ウルシ―環礁では終戦に間に合わなかった。
それだから乗り組み員(晴嵐操縦士も含めて}全員無事
だった。もうこの時米軍一隻沈めても 戦局に何の影響
もなかったろう。
尹四百号には山本長官の忠実な部下 潜水空母の開発責任者
「有泉大佐」が同乗していたが帰途日本を前に自決された。

      (おわり)
*出典はウキぺディァ チューブ動画
 

posted by 花蓮 at 10:36| Comment(0) | 日記

2018年12月04日

 潜水空母があったのを知ってる?

ゼロ戦は誰でも知ってる
しかし潜水空母が終戦時三隻も有ったのを知ってる人は少ない。
かなり本格的な空母である。
ゼロ戦と同等な晴嵐という戦闘機を3機も積んでいた。
これを二十隻作る予定だったから戦闘機は60機になる。
60機でアメリカニューヨークを爆撃するつもりだった。
発案は山本五十六長官である。
潜水空母が完成した昭和二十年七月、もう遅かった。
マニラ近くのウルシ―環礁にはアメリカ機動部隊が集結。
そこに到達した潜水空母が特攻しようとすると
終戦の玉音放送、艦内では激論、艦長の決断は
呉へ帰投。
米軍に引き渡すくらいならと晴嵐戦闘機は海に捨てた。
東京湾沖五百キロ地点で米駆逐艦に発見 捕獲された。
終戦後九月の海ではこんな事件が起こっていたのである。
 (続く)

posted by 花蓮 at 09:04| Comment(0) | 日記