2018年10月29日

 月島もんじゃ

私の夢 佐久に続く第二弾「月島」編
月島 東京の下町
実は越後人の私は江戸をしらない
東京にも慣れた学生時代、それも池袋練馬あたりだけ
今この歳になって東西線の下町住んで 江戸人みたいな顔
をして受け入れられるだろうか。
これは夢だからそんな心配はよそう。
昔 自然食品を扱っている三十代 
その中に「月島食品のマーガリン」があった。
きっと月島にあるのだろう・ 身体に良いのだと
亡くなった妻が毎月買っていた。
あの辺は運河があちこちにある、
住むのはその運河沿いの中古マンションが良い
どうせ東京人にはなりきれないので
まだ見ぬ妻の機嫌をとって、清澄辺りまで毎日散歩
そのうち静かな喫茶店を見つけて定宿にする。
読みやすい司馬遼太郎の文庫版をいっぱい買って
その中から1冊持っていく。
妻も私のくせを知っているので話し掛けない
ゆで卵のモーニング、日替わりでスクランブルエッグ
これで下町に住んだ事になるだろうか
帰ってテレビを点ければ、新潟は吹雪
どんなに季節風が荒れようとこの江戸は安心
妻の横顔をじっとみる真っ白な肌とちょうどいい高さの鼻
京の地黒な舞娘より素晴らしい。
じじい 此の世の夢  (さいなら)



posted by 花蓮 at 11:39| Comment(0) | 日記

2018年10月27日

 佐久の夢  続編

駅伝骨折が過去一番のアクセス数だった。
これについてもう書くまい。美しいものを大切にとって置きたい。

佐久の夢、もう一つ夢がある 私の夢に付きあわせて申し訳ない。
それは東京に住むこと
きっと江戸時代まで意識は遡るのだろう、
それについて先日ショックな出来事が起こった。
淡い恋心を抱いた女性に振られたのだ。
彼女は東京の高校生、私は新潟から出たての立大一年
大崎の山の手線が見える親戚の二階で会った
当時は私も前途洋々の自信、なんとも思わなかった。
あれから五十年 彼女はずっと独身を通していた。
去年から彼女と数回電話で話す事が、
あの二階で話した事を彼女は何と覚えていたのだ
「あなたの奥さんに会いましたよ」 亡くなった妻を連れて
大崎まで行った事
全く覚えていない。 話が脇にそれるので戻そう
「わたし 新潟に行きたくない」 これが結論 終わった
E子 M みんな越後生まれ みぞれは当たり前
二月の青い空なんて見た事も無い だから不満も無い
佐久の青い空 江戸の凧揚げ 時代小説の中だけにある
ちなみに 彼女は大崎から近い”池上沿線”
私も住んでみたい
本題に入ろう 第二の夢は「月島である」
もちろん今は江戸ではない
東京駅八重洲から「勝ちどき橋」へ向かう
橋を越えるると埋め立て地「月島」
そんな事は越後人にはみじんも感じさせないビル群の街
でも東京人は知っている。ここは池上沿線でもない
世田谷でもないことを
かすかな”江戸の香り”が それは地名だろうか
佃、門仲(門前仲町)、清澄、木場、
まさか江戸に生きていたわけでもなかろうに
木場の材木屋と商談したが言葉の端ばしに江戸
自慢をする。昼になった「うなぎ食べますか」
東京人 江戸人は出前にうなぎを取る。
越後人は高校卒業までうなぎを食べた事が無かった。
カツ丼より上等なものとは知らず。
池上線、清澄白河、なんて知らないM、E子。
でも現代「すきやのうなどん」それは中国産
混乱の時代第二の夢は「月島」 続編に
posted by 花蓮 at 09:11| Comment(0) | 日記

2018年10月23日

 駅伝骨折 繋いだタスキ

なんという光景だ。
アスファルトの上を四つん這いで歩いている。
もちろん膝は擦りむけて血が
昨日の女子駅伝 あと二百メートルでタスキリレー地点で
岩谷産業の飯田選手が足を骨折して転倒した。
そこからが凄い。
這ってゴールを目指し、タスキをつなごうとしたのだ。
テレビ中継を見て涙が出た
彼女は十九歳 チームのためにタスキを
つがねばならない この一心で膝の痛みも忘れて這ったのだ。
日本人を見た。 「個より全」日本人は生きていた
十九歳の心にこれが浸み込んでいた。 ”みんなのため”
もし私が二十歳なら なにも見ずに「結婚して」
私の何十倍も 固い意志の女(ひと)
釣り合わないと思うが・・・
 (あまりの感動に予定原稿変更)
 岩谷社長 あなたは千億の価値ある社員を
 雇用してますぞ.第二第三の飯田選手がいるはずだ
 岩谷がんばれ


posted by 花蓮 at 07:40| Comment(0) | 日記