2018年07月23日

台湾日本人と八田与一

ここまで書いたら「八田与一」さんの事を書かねばならない。
台湾人なら教科書にも載っている「八田与一」の事をだれでも知っている。
彼は明治に生まれ東京帝国大学を卒業して台湾総督府に勤め
農業水利の仕事をした技師である。
台湾南部にダムを作り、農業生産を飛躍的に発展させたため彼を祀る
神社がありダムには彼の銅像もある。
もっと知りたい方はウイキペディアで調べてください。
てな事で日本では全く無名でも台湾では有名人です。
わたしも最近知りました。
台湾に尽くした日本人
五十年まえ台湾人は存在しなかった
私が好きだった静尹ちゃん、名前を書いてと言ったら
青の下の月の部分を横棒無しで一本 縦棒の崩し字
あんな見事な「月」を初めて見た
国民党の父のいう事を聞いて台湾人の青年と結婚した。
いま私は一人で彼女がくれたヒスイのうさぎを見ている。
念被観音力 弘法大師の念佛を唱える 助けてくれ〜
posted by 花蓮 at 19:57| Comment(0) | 日記

2018年07月22日

台湾人は日本人

わたしは七十歳になった。 昭和22年 華の団塊世代だ
同期の定年延長の人達もすべて退職した。
私の再婚相手は中華人民共和国、1982年生まれの美人
彼女の故郷は満洲のど真ん中、満蒙開拓団の本部があった村だ。
だから残留孤児がいっぱいいた地区。
日本人とはいえ全く話せない
一方台湾、ここも二、三回行ったがこんなに日本と係わりが
あったのか知らなかった。
私の机の上に翡翠のウサギが鎮座している、定宿だったアジアワールドの
宝石店の李ちゃんが帰国間際にさっと手渡してくれたものだ。
こんなに満洲にも、台湾にも縁があるのに
歴史を知らずに人生を終わりそうだ。
わたしが叫んだとてなんにもならない。
台湾人は昭和20年8月15日突然 おまえら日本人じゃないよと
いわれ 腰をぬかした、
そして今まで敵だと思っていた国民党軍が入ってきた
それから同国人だと信じてた国民党軍に虐殺された。
この辺の事実は自分でしらべて
宝石店の李(実は大陸独特の苗字、プライバシーがあるのので
明かせない)「私の父は国民党軍の軍人で、蒋介石と一緒に渡って来ました」
と言った。当時の私は国民党軍は共産軍に比べればましか 程度の認識しか
なかった。大連の王ちゃんと同じように当時の私には勇気が無かった。
悲しい別れとなってしまった。
結果として今は一人で取り残されて腐っていくのか、
とにかく昭和20年8月15日から突然ほうりだされた日本人がいたのだ
朝鮮人は喜んだらしいが 台湾人はちがっていた。
すっかり日本人は忘れてしまっていたのだ。
なぜ東日本大震災で過大な義捐金がきたのか。
彼等は忘れ去られた「日本人」だったのである・

posted by 花蓮 at 12:28| Comment(0) | 日記

2018年07月16日

ワタシが日本に住む理由

このタイトルをつけたままベッドに入った
ところが眠るどころが耳だけがダンボになった。
アメリカ人画家、大原に住むイギリス婦人の
テレビに出ていた。キャンバス代りのベニヤ板を
曲げて一番近い風景を膨らんだところに書く
その風景がこころにつきささった。
それが一日後このテレビに流れている
それがチュウーブなのでまた再生できる
それが必死で布団の中で記憶した事
アメリカ人女性、九州小倉大学の教員
和製英語辞典を作ったと言う
これは昨日中国人主婦が来て、分らない言葉
だらけと言う、彼女は学歴が低いので
全く英単語を知らない。多分「米帝国主義」などと
共産党が叫んでいた頃の学校教育世代だ
だから「コミュニケーション」など日本語かした
外来日本語をスーパーの店長が使うと全く分からない
もう一つの日本語の壁が立ちはだかっているのだ。
この和製英語=日本語、米人が分らない英語が
日本にいっぱい出来た」ベッドタウン」ー 米人には
通じない。この辞書を彼女は作ったそうだ。
”これは日本語を勉強する中国人には必要”
またあしたこのチューブはゆっくり見よう。

posted by 花蓮 at 22:39| Comment(0) | 日記