2017年02月28日

青い山脈

御存じ石坂洋二郎の小説だ、
長い軍国時代を終えて、戦後新しい民主主義の時代、
東北の田舎町の高校にも時代の波が来ていた。
寺沢新子 主人公 私の中学時代 むさぼり読んだ。
私の大学時代 品川の母の親友の家に 良く遊びに行った。
いつも腹を空かしていたから、飯を食うのが目的。
その叔母さんの兄の娘も良く来ていた。
姉妹で妹の方が綺麗、姉は数年して亡くなったと聞いた。
妹の方は東京の女高校生、セーラー服が眩しかった。
昭和38年、山の手線などと言わず「省線電車」と言った頃。
アズキ色の電車、品川駅の階段を降りた。
五十年ぶりに電話の向うにいたのはセーラー服の彼女だった。
でもまだ顔は見ていない。彼女はずっと独身だったいうから
若いのかも知れない。
頭は毛がなくなり 私はすっかりふけた
輝く「寺沢新子」には釣り合うまい。
〜♪青い山脈 空の果て〜♪



posted by 花蓮 at 21:17| Comment(0) | 日記

白骨

いろいろ話題を残した母の火葬が
昨日終わった。
マザコンと言われた私の一生も区切りがついた。
いろいろ思い出があるが、「わたしは自由」
火葬場の外で日本海の向って心で叫んだ。
佐渡がびっくりするほど近く見えた。
人間の因縁が詰まった島、」
あの島も触れずに波濤越しに眺めるのが良い
東京住まいの弟が来た。
「俺の最後の希望は清澄白河に住む事だ」
清澄に土地鑑のある彼はなつかしそうに説明した。
珈琲の有名店 ブルーボトルがあると言う
朝起きたらそこでモーニング珈琲
あと十年 叶うもよし 叶わぬもよし
posted by 花蓮 at 06:57| Comment(0) | 日記

2017年02月26日

異国の土

六時半 電話が鳴った
昨夜母が危篤と聞いていたので、胸騒ぎがした。
九十歳の母が逝った。
予想はしていたが 悲しみが込み上げてきた。
もう正月雑煮を作ってくれる人もいない
三つ葉と餅と鶏肉と味噌、
この新潟にはない味だ
母は朝鮮の木浦の生まれ、戦前の占領軍の子孫だ
終戦で小さな漁船に乗って家財を全て港に残し
背嚢ひとつで
博多に引き揚げてきた。
終末期 認知症に犯された頭は「今晩 木浦に帰る」
と叫んでいた。
18歳の夏 木浦高等女学校の生徒 青春の一番楽しい
時期を木浦・朝鮮で過ごした
それに引き替え越後の陰鬱な冬は地獄だった
やっと新潟に慣れたのは六十過ぎたころ
我がままな母の不器用な人生
最後の救いは
自分の全ての愛情を注いだ孫が
病院で、スムジーを持参して延命させよう
と努力してくれたことだろう。
息子の私を越えて 孫が話しかけ
混濁した意識の中 安心した表情を昨夜残した。
 大往生だろう
 本日納棺
 朝鮮は異国となった
 越後の土となる
スムジーを毎日作って、病院で介護した事だろう
posted by 花蓮 at 06:46| Comment(0) | 日記