昨日に引き続き、もう少し高遠について書きたい
高遠の地名を見た時、懐かしいと思った
何処だろう
いつかは行って見たい
それが偶然叶なった。
諏訪大社何べんも行った
前宮の事である
その名の通り、戦国以前の諏訪大社が
あった跡地である
今の本宮は妙な形をしている
この事について書き始めると「高遠」に
進めないのでいずれの機会にゆずる
前宮の西に山に登る道がある
「杖突峠」と言う洒落た名前の街道があり
標識にはこの先「高遠」とある。
頂上には「峠の茶屋」があった
この道を下れば「高遠」に行くのか
茶屋には白いとっくりのセーターを着た美しい娘が店番
街道には大山桜の老木があって白い花を付けていた
二十年まえの春の一日
高遠はいずれと思って引き返した
高遠城の桜は「血染めの桜」と言って
一段と美しいらしい
武田勝頼の弟の仁科信盛以下三千の
将士が討ち死にして、櫻がその血を吸ったから
だと云われている。
梶井基次郎の小説「桜の樹の下には」
から引用すると
「桜の樹の下には屍体が埋まっている
桜の花があんなに見事に咲くなんて
信じられ事じゃないか、(中略)
この爛漫と咲き乱れる桜の樹の下
一つ一つ屍体が埋まっていると想像して見るがいい・・・
私は静寂と静まりかえった高遠城址で
死んでいった武士たちの事を考えていた
下り道に煉瓦の門柱がぽつんと立っていた
明治期あった女学校の跡という
彼方に見えるアルプス 「青い山脈の」風景だ
主人公の「新子」が
自転車に乗って現れそうだった
武田が滅びた後の城主は保科と云った
江戸初期の老中 保科正之(松平)の
始祖である
将軍秀忠の妾腹の子、
秀忠は妻を恐れて 高遠の保科氏に預けた
保科は将軍に恐れ入って、自分の家を
彼に譲った。
後の会津藩になる
高遠藩の大出世だ
(高遠の巻 一応終わり)