
<湘南の海>スラムダンクの踏切
俺も人気ブロガー
皆 世の中の人は休みで暇らしい
昨日は千名くらいの方が見に来た。
今日は張り切って二回に分けていっぱい書こう
<あなた(このブログを読んでる人)どうせ暇ナンでしょ>
今日は母が伝統の雑煮を作る
だからスーパーに行って、餅、三つ葉、鶏肉、あんこ
を買って来なくちゃ
中國の妻も 三つ葉餅雑煮を美味しいと
言って母に作り方を習った。
でもひと味違う
「わ〜〜おんなじだ 美味しいよ〜」
と言って誉めてやる」
この正月 毎日せっせと妻は作る
我が家は「あんこ」と二タイプある
茹でた熱い餅に冷たい餡を掛ける
小学校の頃は
アズキから作っていたので
よく盗み食いをした
砂糖の入っていない未完成餡もあった。
次の正月はもう母が居ないだろう
時代が終わったのだ//
<第二部 箱根駅伝・ 鎌倉編は午後から
書きますよ>・・・・・・・
♪ ♪ 〜砂交じりの茅ヶ崎 俺の家も近い ♪♪〜〜
サザンの歌が聞こえて来るぜ!
餅 買に行ってきます。
ja(じゃ)
jan(じゃん)
午後の部再開です
場所は”ひとっとび”
鎌倉です
実は昨夜「ビブリア古書堂の事件簿<6>
をアマゾンで650円で買って読んでいた
昨日の午前、精神病歴のある結婚客が
<離婚する>と電話してきて、
「あんたの〇〇〇〇を 俺が向きを変えて
やるわけにはいかないんだ」と言ってやった。
一時間も電話を止めないのですっかり調子が狂って
しまった。
それで夜は鎌倉の物語を読んで心を整えた。
ビブリア古書堂は勿論架空の書店で
北鎌倉の円覚寺前の小路にある。
その場所は今は県道、JR横須賀線が
通っているが
鎌倉時代は荷車一台が通れるだけの
広さで巨袋呂(こぶくろ)の切通しと言う
鎌倉七つの切通しの一つがあった。
鎌倉幕府が滅亡する時は
ここで四日間の激しい攻防があった。
新田義貞軍が海の稲村ヶ崎の海岸を
廻って後ろから攻め寄せたので
幕府軍は壊滅した。
こんな故事が思い出される<ビブリア古書堂>の
舞台設定だ。
小説の中で勿論鎌倉が出て来る
太宰が東京帝国大学時代
鎌倉海岸で
心中したと書いてある。
太宰には興味がないので調べた訳ではない
その場所は江ノ電が海岸を走り
やがて海を離れて商店街方向に曲がっていく所
小動岬(こゆるぎみさき)と言う
大きな岩のある場所だ。
腰越の駅がある
義経の<腰越状>で有名である
私が鎌倉に店を作った時
住んだのが五分くらい走った鵠沼海岸だ
毎年正月2日 箱根駅伝が海岸通りを
茅ヶ崎方面にまた5分走ると、内陸からくる
1国が海岸に出る浜須賀の三叉路を走る
三区 海沿いの松林の道だ
例年 ヘリコブターが上空から烏帽子岩を写す。
サザンの「希望の轍」の道だ
駅伝もまだ勝敗の見えない希望の道程
三区が好きだ
鎌倉に住んでいたので
新潟県人の俺が陰鬱な越後を離れて
家族中で鶴岡八幡に初詣に行った事がある。
陽光さんさん
人生の花だったかな
上杉謙信が鎌倉鶴岡八幡の前で
{馬ぞろえ}の儀式をやった
小田原攻めの秋だ
これが最後だった
越後人が関東に出てきたのは
あッ そうだ
越後長岡出身の山本五十六元帥も
鎌倉材木座町に住んだのだ
彼が亡くなる前の数年間
鎌倉の街を流れる滑川沿いだった
彼は非番の時、息子の義正と連れ立って
由比が浜の海岸によく散歩に行った
沖には横須賀を出港した戦艦 長門の
雄姿があった。(材木座に住んだのは
史実ですが、後は想像です)
明日は元旦ですが
みなさん良いお年になるよう祈ります。