2014年01月10日

君がさやけき 目の色も

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   <タレーランのバリスタ>

 

  <イランの瞳>

今朝はこのタイトルで書こう

[sayaka]を文字変換すると、彩夏、彩香、小夜香、彩楓、彩花、

清夏、明花、清香、などが出て来る。

どれにしようかと迷って結局「ひらがな」にした。

彩夏、 清香(さやか)などが あのバリスタには似合う

タレーラン珈琲店のバリスタにフォーリンラブしたのだ。

京都二条通との交差点を少し過ぎた辺りにその店はあった。

嘘です。

新潟市の真ん中に湖と呼ぶには小さい潟がある。

その岸部に我が家があり、対岸にタレーラン珈琲店があった。

僕は去年の秋ごろ偶然その店に寄った。

目が<さやか>なその子は居た。

帰り際に「君にもっと20年早く 会ってたら良かったのに」

と言ってしまった。

理性の太い鎖を断ち切って、俺はなんて事を言ってしまった

のだろう。 まあ 彼女は直ぐ居なくなるから良いだろう

もし 次回合ったら

瞬時、   嫌な顔をするだろう

俺はそれを見逃さない

それでいいんだ、 俺はあの時 狂っていたのだから

昨日実は強烈な暴風が吹いて、机を掴んでこらえたけど

対岸の店まで飛ばされのだ。

午前中に一回行った 窓の外から覗くとバリスタが居ない

午後からもう一回行った。ストーカーの真似はみじめだ。

だけど この暴風は抗いきれない。

バリスタは誰か営業らしき男と商談している

俺は初めて来たような顔をして店に入って

バリスタが商談している席が見えるところに座る

じっと彼女に横顔を見つめる

なんて美しいんだろう、

俺の審美眼は経験を積んでいる、

俺の目を誤魔化したら大したもんだ

やはりホントに、美しい。

ジジイがこんな事を言ったらしたら気持ち悪いだろう。

しかし頭の中は、海軍少尉 朝比奈澄夫だ

純白の第二種軍装 白手袋の凛々しい姿だ

バリスタよ

俺は目を開けて君の美しい瞳を見るが、

君は目をつぶって

海軍少尉の姿を見てくれ

勝手な願いか〜〜

一昨日親しい行政書士と話していた。

彼は京都大学医学部を出ていた、

いろいろ事情があったのだろうけど聞かない。

故郷は佐渡相川で、今は無人の実家があるそうだ。

彼の父は海軍大尉で大和で沈んだ。

戦艦大和がレイテ湾に停泊中に山本長官と並んで撮った

写真が仏壇にあると言った。

相川の実家に白の夏軍服 紺の冬服があるが

戦後六十回欠かさず虫干しするのだと言った

毎年夏には、一メートルの小舟に供物を

積んで沖に流すそうだ。

春になって海が穏やかになったら、佐渡で軍服を見せてもらう約束をした。

話がそれた

さやけき瞳に戻ろう

ここが小説家予備軍の特権

妄想で何か月も遊べるのだ

心はいつまでも二十歳

〜〜♪ 君がさやけき 目のいろも ♪ ♪ 〜〜〜

藤村の歌詞が浮かんできて 口ずさむ。

帰り際に私を見上げた その瞳が。

60数年前、出征兵士が贈った中大寮歌

〜君がさやけき 目の色も〜〜

人生に最も美しい時の 目の色があるのだ のだ。(間違いではない)

繰り返したい気分なのだ)

<さやい>のだ、 君がさやけき

黒緑(くろみどり)の瞳が 俺を見た

また錯覚か

このくそじじい

また 錯覚か くそジジイ

posted by 花蓮 at 09:14 | TrackBack(0) | 日々の出来事

2014年01月08日

プロローグのアイデア

去年 千葉の知人に私の小説の原稿を送ったら、

平成の時代に突然戦国が出てきたり、「坂本お龍さん」がなんで

鎌倉物語に出てくるんだか分らないと さんざんな書評だった。

おまけにキツネまで出て来るし。

<君は文学的才能が無いから、読ませるんじゃ無かった>

と心で罵倒したが、やっぱり読者は読者。

耳を傾けて読みやすくしなきゃ。

そんな事でずっと数か月考えていたが、

昨夜プロローグとエピローグという言葉が出てきた。

<明日 ネットで調べよう>

そうだプロローグで戦国と平成、キツネとモノレールなど

を説明すればいいんだ。縦書き升目原稿に直したらページ数が

足りない。急遽、別小説用にとって置いた「夜来香が聞こえる街」

を鎌倉物語の6章に衣替えした。

今朝書いて見ると10分で出来た。

ブログに適当な量なので アップする。

〜〜鎌倉物語 プロローグ〜〜

             朝比奈 澄夫

鎌倉というあまりも有名な魅力的な街を八百年に亘って

書きたいと思う。

それぞれの時代に人物を配して語っていこう

観光客で賑わう昼の顔と、数多くの死者が彷徨う

夜の鎌倉がある。

陰に陽にその霊が平成の世にも影響を与えている。

鎌倉時代だけでも、あの八幡宮の辺りで何人の人が

死んだのであろうか。

鎌倉幕府創設の重要人物は北条氏によって

ことごとく殺された。

日本史の勉強に出て来る「比企能員」、この

能員は(よしかず)と読む。

この読み方は受験で暗記したものだ。

比企ヶ谷という現在の地名の場所に屋敷があって

北条政子に攻められて一族郎党三百人が討ち死にした。

鎌倉駅をほぼ真東に行って山に突き当たった妙本寺が

屋敷跡である。

和田義盛と一族。討ち死にしたのは若宮大路の一の鳥居

付近の屋敷。三浦泰村一族五百人、八幡宮近くの白旗神社

の辺りの寺。島津忠久、毛利季光、安達泰盛、梶原景時、

まだまだ名前を挙げれば際(きり)が無い。

それぞれの親兄弟、姉妹、郎党など五百から千人は居ただろう

まだ名前の残るのは良い方で、治郎兵衛、田吾作、ため、うめ、

など名も無く死んだ人は数知れず。

後世の大名が滅びたようなもので、ごっそり一族が此の世

から瞬時(一、二時間)に消えたのである。

なぜこんな事を長々と書くかと言えば、

鎌倉は滅んだ人の立場から見れば

「怨念の都」「魔都」といえるからだ。

この狭い谷の街で、あまりにも多くの一族が死んだのだ。

「鎌倉物語」はサザンの明るい昼間では語り尽くせない

情念が渦巻くのである。

とは言ってもあまり暗くない話である。

第一章はまず「チャコの海岸物語」のノリで入ろうか。

平成、昭和、明治、戦国、鎌倉時代と各章に別れて

鎌倉を縦糸に八百年生きる「銀狐」を横糸にして

時代絵巻を織り上げる。

先ずは御笑覧あれ!

始まり 始まり

とまあ〜書きました。

喫茶店の22歳の娘に持って行くと

<待ってました>

何を待ってるんだ!?!?

posted by 花蓮 at 18:28 | TrackBack(0) | 日々の出来事

2014年01月03日

応募前の逡巡

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      <大船観音>
 

いよいよ「鎌倉物語」を応募するのに

横書きの原稿を縦書きに直さなければならない。

おっくうで一日延ばしにしていた

ファイルを開いて見ると全く忘れていた「あとがき」

原稿があった。

これはこれで一つにまとまっているのでブログにアップする。

〜〜モノレール続編を書くにあたって〜〜

  朝比奈澄夫

 今日はことし初めての蝉が鳴いた

 七年もの間 地中で我慢して、やっと地上に出たと

 思ったら七日間しか生きていないという。

湘南モノレールを書いていると次々にアイデアが

 湧いてくるので嬉しくなる。

 「鎌倉山の事はサザンの稲村ジェーンにでてくるよ」

 と長男が教えてくれた。

 早速 蔦屋に行くと 「稲村ジェーンはDVD化されてません」

 「ビデオテープなら全国どこかの店にあるかもしれんません」

 と言う、 しょうがない諦めた。

 DVDが無くても書けるのだ

 和子の家の設定は鎌倉山の上の超高級別荘地

 長男がリフォームでそこの御屋敷に呼ばれた時の

 模様を語ってくれた。

 和子が東京女子大というのは45年前に遡る

 夏の考古学発掘で東急長津田線の

ンネルの上の台地を掘った事があった。

の成果を秋の立教祭で発表した

 考古学クラブにはマドンナがいた

のマドンナの姉が見学に来ると言う

 姉は東京女子大だった。

 私の田舎の高校では東女に入学するのは

 数人の難関だったので、最初から気遅れしてしていた。

 マドンナより美人だったら、私の偏差値が低くくて

 話があわなかったら、などと今から考えれば

 純情な心配だった。

 当日はマドンナが案内してきた

張していたが、マドンナに講評を聞くと

 <平凡ね>と云われた。

 45年経ってもショックだ、だけど一つ自信があった

 マドンナの方が美人だったのだ。

 展示内容は忘れてしまったが<東女がそう言うんだから

 そうだったのだろう>

 そして今度小説の和子は東女

 短編の中で 私の自由に喋らせる事が出来るのだ

 何を語らせようか

 「昭和のいしぶみ」では 山本五十六が昭和十年頃

 鎌倉材木座に住んでいた

 材木座という地名は鎌倉時代まで遡る事ができる

 頼朝の鎌倉建設に伴って、大量の木材が必要になった。

 そこで由比ガ浜の東に泊りを作り荷揚げした。

 そこで材木商人達が座を作って利益を独占した

 のが始まりと云われている。

 山本元帥は「カプリチオーザ鎌倉店」の横の

 松林で対米戦争推進派の右翼に襲われるのだ(フィクション)

 カプリチオーザ鎌倉店には良く食べに行った。

 昭和初期まで時代を巻き戻せば、一面の松林

 さらに鎌倉時代まで戻すと比企能員(ひきよしかず)と言って

 日本史の問題に出る将軍頼家の乳母の実家の武将で、

 対立した北条政子に殺された屋敷がここにあったのだ。

 

 比企という小母さんが新潟市に住んでいた

 ショッピングセンターの掃除婦をしていて

 霊能があった。

 比企というのは高校で習っていたので

 なぜ小母さんが越後に居るのか不思議で

 ならなかった。

 カプリチオーザは今は閉店して「パタゴニア」という

 東京では有名なアウトドアの支店になっている。

 鎌倉は古来から栄枯盛衰

 のた打ち回っている。

 だから私は鎌倉には住みたくない

 その周りの霊的障害の無い

 七里ヶ浜の崖の上、太平洋が望めるところがいい。

 そして夜な夜な ビーフシチューを1週間煮詰めて

 いる小さな店に通うのだ。

 「御成り」の地元の人が寄る居酒屋もいい

 しかしそれも今となっては夢だ

新春 また戻ってしまった

提出原稿を仕上げなくては

posted by 花蓮 at 18:32 | TrackBack(0) | 日々の出来事