2013年02月28日

心の病のSさんへ

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<とんぷくCD>

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      <極寒の故郷賓村(県)>

今朝はこんなタイトルで書く予定が無かったのですが

昨夜電話で「保護者」とトラブルを抱えたSさんから

電話がありました。「保護者」という法律用語があるのを

しりました。その人は60歳になるのですが、心の病の彼は

「保護者」の姉がいるのだそうです。

こういう悩みが来るという事は、私も心の病かもしれない。

今朝その人に手紙を書きました。

おはようございます

 早く起きたので一筆書きます。

 人は産まれた瞬間から運命が分かれます。

 分かれたくない、戻りたいと叫んでも

人生の放水路を一気に流れ始めます。

 ”あれよ あれよ”

 気が付けば老年です。

 もうあの坂には戻りたくない、たとえ若返っても。

 と思う人は多いと思います。

 孫に囲まれて幸せな人、一方生まれた時から両親が殴り合い。

 びくびくして母の顔色ばかりウカガッタ人。

 青年になっても鮮やかに思い出し、

 老年になって”もう大丈夫”と忘れた頃

 突然 自分の人生を破壊しだすのです。

 こんな人、わたしをを何とかする為に研究したのです

そしてとんぷくCDを作ったのです。

 現代医学は心と身体の関係を知りません。

あなたの痛みは心です、内臓でも足でもありません>

 痛いけど見えない けれど激痛でしょう。

 あなたはまだ薬を飲み続けている言いました。

神経をぼ〜っとさせるだけの薬です。

 腹痛に目薬を差すようなものです。

 

<幼児期の心が切られて血を流しているのが痛みの原因です>

 これは時間・空間は関係ない世界です

 心は四次元です、昨日の事のように鮮やかでしょう。

 痛みは今にあります。

 そして痛みは{妻・子供}に向けられ、

 あなたの幼児期と同じ事を繰り返すのです。

 これが完治を放っておくと 悲惨な結果を産む原因です。

 いますぐ出血を止めてあげあないと。

妻ちゃんが中国から帰ってきました。

楽しい事がいっぱい〜〜

(あす書きます)

こんな妻ちゃんが

晩年に居る事は、

私の傷の治療も進んだのかな

あるいは完治しているかも。

(心の傷は環境に現れる)

黒いジーンズ、真紅のコート

こんな若者がエスカレーターで私の手を引く

私は幸せ、

posted by 花蓮 at 09:29 | TrackBack(0) | インポート

2013年02月27日

福沢諭吉「脱亜論」とビブリア古書堂(2)

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    <メディワークス文庫パンフ>

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本当は福沢諭吉の「脱亜論」にそれるつもりはなかった。

ビブリアもそんなに面白くない。

ただメディアワークス出版の宣伝が上手く

その広告に引き込まれるからだ。

今もそのパンフを眺めていると

買いたくなる。 それと相まってアマゾンの威力だ。

ビブリア一冊買ってその他の本を見ていると

関連本を探してメールを送ってくる.

山本八重・会津藩を検索していると

「新撰組顛末記」永倉新八が出てきた。

あまり新撰組には興味が無かったけどこの名は知っていた。

真剣のプロだ

江戸時代二百六十年を通じて永倉ほど真剣で

切り結んだ人はいないのではないだろうか。

太平の世では刀を抜いたら最後、切腹を覚悟しなければ

ならなかった。

永倉は切って切って切りまくって明治まで生き残った。

そんな人の回顧録を読んで見たかった。

書店では絶対買わない、アマゾンの勝利だ。

メディワークスなど日本の可愛い系の出版社は

箱庭・盆栽の世界に似ている。

小さな鶴が居て亀がいる

極小のけや木の林があって自分だけの武蔵野がある。

日本人独特の繊細な感性だ。

ビブリアに出てくる 藤沢市大鋸(おおぎり)は

私が見ず知らずの藤沢に降り立って

最初に店を作った丘の谷(やと)を隔てた向うにある。

普通は鋸(のこ)と読むのだろうが、

私の実家は金物屋で子供の頃からこの漢字は

見ていた。

国道1号が遊行寺から登りになったあたりである。

あと道一本で鎌倉市と横浜市に接している。

いずれの丘からも富士の頭が見えてハッとする。

これは私が文化はつる新潟県だから感じる

景色だからだろうか。

ビブリアの中で辻堂の同業者の店舗に行く場面があった。

ああ あそこか

狭いどこにでもあるロータリーである。

「辻堂」の名前に惹かれてたずねた。

馴染みにしたい喫茶店があるかと

期待していったのだが

それは小説の世界。

パンフには「有川浩」のシアター!の宣伝が載っている

私の心をとらえた小説「阪急電車」

宝塚 北鎌倉と同じように行ってみたい。

妻にとっては日本はどこでも異邦人。

越後でも佐渡でも宝塚でも北鎌倉でも

何処に住んでもいいのだ。

わたしも年金暮らし、

最晩年は宝塚がいいか。

妻はハルピンに行こうという。

だれとも喋らない

部屋から一歩も出ないハルピンの冬

日本も同じだ、

帝国の行く末は若者の手に

案外気に入っているこの境遇。

あたまが遊ぶブログの世界。

posted by 花蓮 at 07:35 | TrackBack(0) | 日中テレビ感想

2013年02月26日

福沢諭吉「脱亜論」とビブリア古書堂

今朝起きてきてPCの電源を入れる

「尖閣を盗んだ」 「韓国日本製品不買運動」

「訪韓、横たわる難関 竹島、従軍慰安婦」

など見出しが目に入る。

あまりに理不尽な言い方に

ブログを変更して書く事にした。

わたしのブログを読んで下さる百名弱の方は

また中国の悪口かとお思いでしょうが、

大日本愛国党(ジョークです 存在するか知らない)

の私としては書かざるを得ない。

池袋で赤尾総裁の街頭演説、やっと受験の<赤尾の豆単>

から解放(受験に必要な英単語辞書)されたのにと、

横を向いて歩道を通ったのを思い出す。

中韓 こいつらはきりがない。 断交したらどうかと思っていたら

明治18年、幕末から十八年目に はや、福沢諭吉が書いて

いた。

敗戦後の言論でも、慶応の創設者の福沢諭吉に対して

議論を吹っ掛ける<やから>はいないだろう。

福沢諭吉「脱亜論」を引用すると。

日本の不幸として立ち現れたのは近隣諸国である

そのひとつはシナであり、もうひとつは朝鮮である。

この二国は(中略)同じ古典を共有しているのだが、

もともと人種的に異なっているか、それとも教育に

差があるのか、シナ・朝鮮二国と日本との精神的

隔たりはあまりも大きい。

情報がこれほど行き来する時代にあって

近代文明や国際法について知りながら

それでも過去にこだわり続けるシナ・朝鮮の精神は

千年前と違わない。

 

(中略)

教育と言えば(中略)道徳的退廃をもたらし、

国際紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」

と開き直って恥じる事もない。

もはやこの二国が国際的な常識を身に付ける

事を期待してはならない。

日本はむしろ大陸や半島との関係を絶ち

先進国と共に進なければならない。

ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を

持って接してはならない。

この二国に対して国際的な常識に従い、国際法

にのっとって接すれば良い。

悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。

私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と断交する

ものである。」 時事新報 明治18年3月16日

この時代(18年)から諭吉をして

「悪事」と言わせた

事があったのだ

教えを守って 日韓併合、シナ事変、満州国などに

係わらければ、日本は相当な文明国になっていたろう。

便壺二国に箸を突っ込んでしまった。

     (明日ビブリアに続く)

posted by 花蓮 at 09:03 | TrackBack(0) | 日中テレビ感想