2011年06月25日

急行「あじあ号」の雄姿

2                               

  <満鉄・大連ーハルピン あじあ号>

市立中央図書館で「大興安嶺異聞」という本を他の5冊と
一緒に借りてきました。
戦前のハルピンの描写が小説の半分くらいまで出てきます。

本文を引用すると

「帝政ロシア時代から街の変動を眺めてきたハルピン駅。

正面は東南に面し、アーチの上に掲げられた「大満州国」の大文字が・・・

〜昨夜大連を出た「あじあ号」だ。 二千四百馬力、7両編成、冷暖房完備の

高速特別急行列車が、鮮やかなブルーの車体に〜

松花江の岸辺を背にして駅舎は南向きに建っていますが

当時一番の繁華街「キタイスカヤ」街(中央大街)は駅の裏・北側にあるので

不思議です。もう一度調べて見たいと思っています。

その戦前に「大満州国」の文字を掲げたアーチはまだ残っています

満州国の時代に日本の国力を掛けて作った「あじあ号」。
D51の馬力を調べたら1250馬力で、このあじあ号の半分です
いかにこのあじあ号が当時の新幹線並の栄誉を背負って

登場したか分ります。当時大連ーハルピン間は2日かかって

いたのを12時間で走り、冷房も備え最後尾には展望車
が連結されていました。

あじあ号は今中国の車庫で静かな余生を送っています。

posted by 花蓮 at 12:21 | TrackBack(0) | 考えること

2011年06月22日

外食で機嫌取り

たまには外食しようか

妻が今日は作りたくないというのです

わたしも機嫌を取る為、一緒に行きました

それで昨日はオカズが何十とあって、選べるスタイルの食堂に行きました

「何を食べようかな〜 妻は自分で作らなくて良いので機嫌がいいのです

私は「鯖の味噌煮」「酢豚の小盛り」「納豆」「半熟卵」

妻は「ウインナーと目玉」「麻ボー豆腐」「鯖の味噌煮」


家で普段食べられない物を選びました

中国式の毎日「油」を使う食事に、一寸飽きていました

(妻が普通の日本の家庭に出るものを作ってくれたら・・)

と思いますが これが国際結婚の宿命でしょう


妻は気分がいいらしく 美味しそうに食べてます


玉子焼きはオーダーしてから作ると書いてあります

「玉子焼き 頼もうか?」

うん いいよ」

早速 追加注文しました


大きな玉子焼きが出来てきました

二人で半分の切って 

美味しいね」 妻が言います


なかなか良く出来てる」 味は普通だったけど

相槌を打ちました 

これで 夫婦関係はうまく行くのだ

posted by 花蓮 at 11:36 | TrackBack(0) | 日々の出来事

2011年06月20日

台湾同胞に涙する

国際結婚して身近に<中国人>を感じている毎日です
きょうの読売新聞に興味ある記事を見つけました
普段は読み流してしまうのですが、日本人としてこれはブログに
残してお礼する必要があると思って書きました

台湾は日清戦争の結果<日本人>になり、つい最近の昭和20年8月15日
まで<日本人>でした。
戦後の混乱で我々は台湾同胞を忘れてしまいました。
それは戦後の満州でも同じです、20年8月以降も中国花嫁の故郷
中国満州「方正県」では無政府状態の中で<日本人>は連続していました。

台湾の日本人として教育された<台湾人>は、意識として<日本人>のまま
戦後を迎えたのです

1947年ころ 大陸から国民党軍が侵入して{大虐殺}を「台湾・日本人」に行いました

台湾・高雄の「義守大学」の日本語科の短歌が読売に転載されていました
今度の震災に彼等が寄せた<歌>です
篤い気持に涙するばかりです


代表の蔡さんの歌 (この人台湾人ですか!、菅が外国人のよう)

   国難の地震と津波に襲わるる 祖国護れと若人励ます

   未曾有なる大震災に見舞われど 秩序乱れぬ 大和の民ぞ

   天災に負けず くじけず 愛友よ 涙も見せず鬼神を泣かす

   原子炉の修理に赴く男の子らの 「後を頼む」に 涙止まらず

   福島の 身を顧みず 原発に去りにし技師には 妻もあるらん

これはみんな台湾の人達が詠んだ歌です
日本人でも書けない<大和魂>

返って残地・放置された元日本人だから書けたのでしょう。

戦後放置した<日本人>に感謝です

突出した台湾義援金(200億)の意味が判りました
ありがとうございます

posted by 花蓮 at 10:31 | TrackBack(0) | 考えること