メールを開けると 同窓会の案内 が目に入りました
「山一證券の同窓会」です
昭和44年の春 我々は入社しました
その数 60数名 それから3ヶ月新人研修があり、お札の数え方から
レシオ 株価の見方まで教え込まれたのです
その中で山一経済研究所で倒産の日まで残ったA氏が
同窓会を呼びかけたのです
迷っていると 今朝 寮で同室だったM君からメールがきました
「君が出るなら 行こうと思っている なにしろ遠いので
ブログ読んでるよ」
それで勇気が出て また書き始めたのです
M君はいまや 押しも押されぬ大会社の社長
寮にいる時ときから 目から鼻に抜ける発想をする人でした
”戦友”でしょう
我ら団塊の世代も定年を迎えて 人生を振り返っている時期です
最後だから 同窓会に行こう 何もなくても 若かった頃を
観てこよう いま書いているうちに決めました
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先月は親友の3回忌
台湾に一緒に行った人です
「俺は あんたの女房が来日するのに間に合わない 一度会いたかったぜ」
余命半年と言われ 喫茶店で私に告げた時の事です
「無電が ツーーーーーと鳴って 止まった時
敵艦に体当たりした 俺が生まれたのは」
「知覧特別攻撃隊 小林少尉」 これが俺の生まれ変わりだ
こんな事を言った彼も逝った
昨日 国際結婚で 新しい生命が生まれた
日中攻撃開始 中国は摩擦を起こしても盗ると政策決定したとか
仙石よ 小手先では逃げられない
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混血の架け橋よ タクラミを越えよ