列車の旅もようやく、夜8時にハルピンに着き終わります
中国語日本語が飛び交う会話に「あんたたち 何族だね」と聞かれました
少数民族に見えたんでしょう
次の日は結婚式です 12時から開始ですが花嫁の親族は10時ころ
マイクロバスで到着しています。
新郎の部屋にきて両親との挨拶が交わされます。
披露宴は指輪の交換、お土産を渡す儀式など日本とちょっと違います
兄弟従妹 叔父さん叔母さんなど紹介されますが覚えられません
そのうち中国独特の酒の注ぎあいが始まります、
飲んだ振りをして済ませようとしますが、敵もさるもの見逃しません
結局日本男児だ と負けずに飲みます 新郎をほおっての飲み合戦は
多勢に無勢負けてぐでんぐでん
日本側は新郎と二人、式が盛り上がってくれればそれでよしと
道化を演じます。
二時間の宴も終わり 親族一行は上機嫌でマイクロバスで帰って行きました
これからは新郎新婦の二人の時間です
私の役割はみんな終ってホッとする時間です
2010年04月10日
披露宴はお酒
2010年04月08日
中国列車の旅
ちなみに列車の表示は瀋陽ーチチハルと書いてあります。
瀋陽は昔の奉天です、瀋は沈になっていて簡略体でこれは字の破壊です。
奉天は日露戦争の時 日露の大軍40万が激突 日本が勝利を納めた土地です。
チチハルは満州語で札幌のように音を当てたので意味はありません
うしろの二文字はハルピンのハルと同じです、 ハルピンも音を当てたのです
瀋陽領事館からの帰りは難行苦行です。
というのも中国国鉄には乗車券のコンピューターシステムが無いのでしょう
指定券が買えません。 体育館のような待合室に1時間も前から並びます。
そうして改札口が開くのが、列車がホームに入った頃ですから何百人の
人が改札からダッシュするのです。
それでも勝手の列車の入り口に殺到します。降りる人も構わず乗ろうとします。
なかに入れば二人分の席で寝ていたり、それを起してばらばらに席を確保します
おまけに何でこんな大荷物というくらい パンパンのバッグを持っています。
それが落ち着く頃 四平、鉄嶺などという満州事変に出てくる駅を通ります
1時間もすると刺々しい関係だった隣の人も、ちょっとしたビールを一本あげる
と優しくなります。 花婿花嫁は離れていた席も代わってくれます。
やがてみんなは一つのボックスに集まりました。
瀋陽で買い込んだビールつまみの開陳です。
2010年04月06日
瀋陽領事館
夜行寝台列車に揺られてうとうとしていると 朝5時に瀋陽に着きます。
あさの気温は零度近くではないかと思われます
あまりに早く着くのでもちろん領事館は開いていません、暗がりの中からおばさん
が現れて仮眠ベッドがあるから来いと言うのです。
のこのこ着いていくと”脱北者”が泊まると思われる汚いアパートに案内されます
開門まで3時間だから我慢してコートのまま横になります。
ゲートが開くと二重のチェックです。
あの脱北者が駆け込んだ門です
日本人で衛兵にペコペコしている人がいます
帝国陸軍の末裔が自国の領事館に入るのに卑屈になるものかと胸を張ります。
こんな事を考えているなんて中国兵は夢にも思わないでしょう。
お客さんの手続きは40分くらいで終了、中国語で書いた独身証明をもらいます
大使館の言葉使いは丁寧です、ここは日本国だと思いました、
<あなた様は>などと言いいます、しかしガラスで遮断されインターホンではなし、
下に開いた小さい窓からやり取りします。
応対したのはどんなにうまくしゃべっても中国人とわかります。
帰りは裏門から厳重な警戒の外に出ると そこにはみんなが心配そうに待っていました。
日本領事館の真裏は北朝鮮領事館、隣りは米国領事館、その裏は韓国領事館
という具合に領事館の一群になっているのです。
無事終了してホッとしたので 米国領事館の向かいにあるケンタッキーで珈琲でものむか